お母様がお仕事をされている間、類さんはどこに?

類:プレスエリアの近く。

母:キャンプエリアからちょっと外れたあたりの森みたいな場所があって。

類:森もそうなんですけど、フェスエリアでもけっこう虫とかが飛んできたりするんですよね。トンボとか、コオロギとかが。最初行ったときは「こんなに虫いっぱいいるんだー」って思ったから単純に捕まえようとして遊んでいたんですけど。そっから2、3年後だっけ? 虫取りかごと虫取り網を欲しいってあなたに言ったの。

母:2年目くらいじゃないかな?

類:本格的な道具を持って、捕まえて、虫取りかごに入れて。こんなに大量に捕まえたっていうのをいろんな人たちに見せに行って、ビックリされたりして。この人(母)に持って行ったら当然いやがられて。もう、やめろ、やめろって(笑)。

母:虫はいや(笑)。

類:それをずーっとやっていたんですよ。2005年くらいかな、Sigur Rósが撮影をしているときに、近くで虫取りをしていて。そこでヨンシーに「一緒に写真撮ろうよ」って言われて、虫取りかごと網を持った状態でSigur Rósと一緒に写真を撮ったのがオフィシャルで使われたっていうのがありましたね。

そのとき、類さんはSigur Rósだと分かっていましたか?

母:全然分かってない。

類:後ででしたね。

Sigur Rósの音楽ともリンクして、彼等がどんなバンドか分かった時はどう思われました?

類:非常にシュールというか。まさかこんな感じになるとは、と(笑)。その時からSigur Rósはすごい有名だったし、一緒に写真を撮って、しかもそれがオフィシャルに使われたのは本当に貴重ですよね。そのときも僕はやっぱり、人見知りというか、うまく言葉もしゃべれなかったし、挙動不審さもあったから、もっとみんなとちゃんと会話しとくべきだったなって思いますよね。

お母様が仕事中でなければ、なかったかもしれないエピソードだったんですね。

類:そうですね。そもそもフジロックに行くっていうのも、母親が仕事していなかったら絶対になかったと思いますね。大人になれば、音楽好きな友人と行こうってモチベーションに繋がるとはいえ、場所が場所だから子どもにはそう簡単に行けるようなところじゃないですし。

母:1日8本取材が入ったりと忙しかったりして、連れて行っても他の人に面倒を見てもらわなきゃいけなかったりっていうのは気にはなったんですけどね。ご飯は何時まで待っててねとか。

類:フェスだし、それくらいが丁度いい気もするけどね。

母:ただ、親としては悩む部分は悩むんだよね(笑)。

でも、助けてくれる人がいる。

母:そうですね。みんな協力してくれて。「うちの子、知らない? 」って言うと、「ビクターの取材ルーム行ってる」とか、ユニバーサルの誰それが連れていったよとか(笑)。

その時代から知っている人が今も現役で音楽業界に多数いらっしゃると思うんですけど、不思議な感じなんでしょうね。

母:親戚の子どもが大きくなってテレビに出てるみたいな感覚みたいです。

泉さんを紹介してくださった私の業界先輩も「私は親戚のおばちゃんみたいな気持ちで類を見てるから」と仰っていました。

類:みんなそうなんです(笑)。レコード会社のディレクターさんとか、ライターさんとか。

母:わあ、大きくなったね、みたいな感覚だよね。

そういうエピソードが日本の音楽業界にあるということも、フジロックでそうだったというのも素敵ですね。

母:アメリカだとアーティストでも裏方でも、誰かが子どもを取材に連れて来るので、向こうに住んでいた頃は留守番させるよりいいや、連れてっちゃえっていうのがあったんです。でも20年前の日本では、取材現場に子どもを連れて行くと「えー?」という雰囲気だったのが、フジロックに毎年連れて行くようになって緩和されたというか。日本の業界の人たちも、取材の邪魔にならないんだったらいいやっていうのが、そこから醸成されていったように思います。

その恩恵を受けていると思います。私の子どもは現在3歳ですが、あたたかく見守ってくださる方が多いので。

母:良かったぁ。

類:先導者じゃないけど、それをやってた効果が出たのかね。

05-5 【こどもフジロック】栗原泉・類親子とフジロックの歩み

母:そうね。昔の業界の人って激烈に仕事をしている人が多かったしね。「CROSSBEAT」の元編集の方がライターとして来ていた時に、一人目の手を繋いで、二人目をおんぶして「今日ホワイトステージ担当なんで」とか言って、一日ホワイトに子どもをおんぶしてライブ全部見てレビュー書いてとか。みんなの頑張った甲斐があったねえっていう感じでね。

仕事に絡んだフジロックでの親子の思い出はありますか?

母:取材は決められた時間の中で、一分一秒を争いながらレコード会社とのせめぎ合いでやる貴重なものだから絶対邪魔しないでねと言ってあったのですが、ASHの取材中に突然死角からウワッと出てきて「ごめんね! ごめんね! 約束忘れててごめんね! 」と泣き出されたことがあって。そのときが一番焦りましたね。ティムからも「大丈夫?」と言われてしまったりして、「ちょっとパニックを起こしているみたいだけど全然大丈夫だから」と伝えて取材を進め、皆さんに「本当にすみません」と謝って。後で話を聞いたら約束の時間に戻ってこなかったから怒られると思ったみたいなんだけど、それは前日の話で。私の中ではそれが一番大きいです。それ以降、ASHの取材の時は「あれ、今日息子は来てないの? 」とか言われちゃうし(笑)。

06-5 【こどもフジロック】栗原泉・類親子とフジロックの歩み

類さんにその記憶は?

類:まったくないですね(笑)。でも、言われてみればあったような気がする。何だったんだろう?

母:勘違いよ。その次が、PJ ハーヴェイにサインもらいたいとか言い出したこと。

類:楽屋の前で出待ちして。

母:彼女のツアー・マネージャーには、親の私がサインをもらいたいから子どもを使ってると思われたらしくて「ちょっと待って」と言われてずっと待って。本人が出てきてサインしてもらっていたら、ツアマネから「え? 子ども?! だったらもっと優しくすればよかった」とか言われて(笑)。

それもやっぱりお母様が取り次いでくれなかったらなかった話ですよね。

類:そもそも母親が働いていなかったら楽屋口まで入れない。

母:まあ、怒られたんだけどね。公私混同はやめてくださいって(笑)。