■子どもがフジロックで触れた自由とマナー

昨年のことですが、場内で目の前を歩いていた男性が落ちていたゴミをスッと拾ったんです。とても自然にスタスタとゴミ箱に捨てていた。息子はバギーに乗っていてその男性の行動を目撃したわけです。

かっこいいねえ! 

他の参加者までもが子どもに何かを見せてくれたり教えてくれる場なんだと、そういうことが起きる場がフジロックなんだと気づかされました。だから安心して子どもを連れて行けるのかなって。

私がフジロックで最初に感動したのはゴミのところに人が必ずいるってこと。あの係の人たちがいると分別に迷わないし、こんなところにも立っていてくれて“ありがとう”という気持ちで捨てに行こうと思えますよね。

0415_shibata-2_5 【こどもフジロック】保育界の風雲児「柴田 愛子」に訊く、親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない

おっしゃる通りです。そういった目に見えないけれど大切なものが普通に存在しているフェスはあんまりないなと思っていて。

自然の中にいるってこと自体が人を謙虚にするよね。そして、好きな人たちが心地よい場所を維持してくれているっていうのはその人たちの感性、マナーが定着しているということ。今後ここをどんな風にしていきたいかっていう思いもあると思う。自分に余裕がないとその配慮をできるゆとりがもてないし気配りできないのよ。何をしてもいいいけど“怪我と弁当は自分持ち”っていうのはプレーパークと似てるわね。

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でも自由と好き勝手は違う。自分が軸で、自分が解放されても自分をコントロールできる範囲での自由であって、自分が責任を持てるのが自由。でもルール漬けで育った人は「お金払ってるんだし、自由なとこなんでしょ?」という風に自由を履き違える。世の中を見るとここでそれをやるのはどうなのかと考える想像力が欠如している大人が多くてマナーができていない人だらけですよね。それなのに子どもに対しては「しつけ」っていうのよ。強要したしつけは活きないから自由を履き違えた大人が多くなっていくんじゃないかしら。

“ルールがないところがフジロックのいいところ”とよく言われますが、『OSAHO』というマナー向上キャンペーンがあります。

そのルールとこのルールは違う。大体は人が不快にならないための配慮をルールにする。世の中にはルールが多いからルールで身につけていくことがとても多い。でもルールには根拠がなく人が不快になる基盤がないから、ルールを守るか守らないかになる。都会で働いている人は、ルールは守るけどその根拠を考えたことがないと思うのね。だからルールがないところへ行っちゃうとルールは“破るためにあるもの”になる。でも、『OSAHO』をマナーと考えると自分が人を不快にさせることはやめましょうってことで、誰が主役かっていったら自分なのよね。

確かに。マナーは自分のアイデンティティを守るものでもありますしね。

私は山登りをするんだけど、山から得るものがたくさんあるから大事にしてるの。人工的なものは絶対置いてはいかないけど自然から生まれて自然に還せるものは置いていってかまわない。例えば、うんちは自然に還るけどティッシュは還らない。だからティッシュやオムツは持って帰ろうってなるわよね。

ゴミと言えば、場内のオアシスで当時3歳の息子が落ちているスプーンを探して拾ってはゴミゼロナビゲーション中のお姉さんの元へ運ぶというのを繰り返し遊んでいたのを思い出しました。我が子ながら「いい遊びしてるなあ」と(笑)。

子どもは背が低いから地面に近くてよく見えるし、何でも拾って集めるのが好きなのよね。それはルールとしてではなく、自らの遊びとして身に付けていくことはあると思うの。例えば、掃除をしている大人をみると「何やってるの?」って聞いてきて「自分もやりたい」と言う。これは3歳がピーク。

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子どもたちには掃除する姿も遊んでいるように見えている?

そうなの! 大人にとっては仕事でも、子どもにとってはいつにない特別な遊びに感じる。ルールとかゴミ分別とかは分からないし、子どもにとってはゴミかゴミじゃないかなんてどうでもいいこと。りんごの木には1週間やりたいことをとことんやる“とことんウィーク”というのがあるんだけど、そこで「ゴミ拾いをしたい」という子たちがいてね。5歳でゴミはゴミと分かっていて“たばこは手で拾っちゃいけない”と言われているから洗濯ばさみで挟んで拾ったりしながらどんどん集めていったの。するとそんな子どもを見た大人は「あら偉いねえ。こんなに拾ってくれてありがとうね」って褒めるのよ。自分は遊んでるだけなのに大人が褒めてくれる。だからね、お宅のお子さんもそうだけど、そのお姉さんに「ありがとうね」って言ってもらえて嬉しかったんじゃないかしら。大人を見て楽しそうと思って遊びで始まって習慣化していく。これは「おはよう」「いただきます」と言うのとほぼ同じことで無意識のうちにマナーを身につけていくと楽ちんですよね。でも大人からの要求が多すぎると嫌になってしまうの。何よりも親の振り見て子どもは育ちますから。

大人は子どもに見られていることを意識しておかないといけませんね。

大自然の中で音楽に浸って自分が解放されたら日常と同じ暮らしを持ち込むんじゃなくて、自分が自然と音楽に浸って解放されて大ざっぱになって子どもも大ざっぱならそれでいいじゃない? 人間いつも同じでいなくちゃいけないわけじゃないんだし。はじめは付き合わせていたかもしれないけれど、繰り返して行くうちに子どもなりに楽しみ方を見つけて行くと思うし、よほど嫌でない限りは共通の解放された楽しさを味わえる、本当の意味で一緒に楽しむ家族イベントになっていくんじゃないかしら。

インタビューを終えてから、「人生でいろいろあったときに『生きてれば』って励ましてくれるのは大自然だと思うのよ」とお話をしてくださった愛子さん。思いがけないことが起きたときに“還りたい”と思い、出かけた北アルプスや瀬戸内海で自然に触れたことで“還ってきた”と感じたそうです。

野外フェスでは大人も子どもも日常では触れられない大自然に触れ、音楽を楽しむことができます。しかしそれ以上に、私たち大人が想像する以上のものを子どもたちに与えてくれる場なのではないでしょうか。

フジロックのゲートをくぐるとき、“還ってきた”と感じる私たち。唯一無二の空間で子どもたちと共にかけがえのない時をこれからも過ごせるように、ひとりひとりができることをしていけたらいいですね。

photo byⒸ宇宙大使☆スター
text by早乙女ゆうこ

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■柴田 愛子
1948年東京生まれ。「子どもの心により添う保育」をモットーに設立37周年を迎えた「りんごの木 子どもクラブ」代表。クラブで行う「子ども達のミィーティング」が特色ある保育実践としてテレビ・映画で取り上げられ、子どもの力を最大限に引き出していると評判に。育児書の執筆、雑誌への寄稿、全国各地での講演会、NHK Eテレ「すくすく子育て」出演など、子どもに関わるトータルな仕事でアツい支持を受ける。保育経験に裏打ちされた強い信念とやさしい言葉は「第二の実家」として父母の育ちをも支えている。著書に日本絵本大賞を受賞した「けんかのきもち」や、「それって保育の常識ですか?」など多数。

□著作
絵本
「けんかのきもち」(日本絵本大賞受賞) 絵:伊藤秀男
「ありがとうのきもち」 絵:長野ヒデ子 他
著書
「マンガでわかる 今日からしつけをやめてみた」イラスト:あらい ぴろよ
「子どもの『おそい・できない』が気になるとき」
「それって保育の常識ですか?」
「こどものみかた」
「子育てに悩んでいるあなたへ : あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」他

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FUJI ROCK FESTIVAL《 OSAHO 》- Festival Etiquette –

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