各界のキーパーソンたちに<フジロック>の魅力を語り尽くしてもらうこの企画。2016年のトップバッターとしてご登場いただくのは、手塚るみ子さん。そう、手塚るみ子さんは“漫画の神様”手塚治虫さんの実の娘。現在は手塚プロダクション(以下、手塚プロ)の取締役を務め、偉大なる父親の作品や功績を後世に残し伝えるべく、様々な取り組みや企画を手掛けおり、昨年は岩盤と手塚プロによるコラボTを発表する他、アトミック・カフェトークにも出演するなど、フジロックとのコラボレートも果たしている。
そして昨年のコラボがきっかけになり、手塚プロと岩盤は今年も新たなTシャツを展開する。グリーン・ステージの上空をアトムが飛行するというとてもユニークなデザインだ。今回はこのTシャツの話題をはじめ、手塚作品と<フジロック>に共通するものなど、様々に語っていただいた。
Interview:手塚るみ子
━━昨年に続き、2年連続の登場です。さっそくですが、昨年の<フジロック>はいかがでしたか?
手塚 まず天気が最高でした。最終日に若干雨は降りましたが、全然想定の範囲内というか。あとこれは個人的な話になるのですが、はじめて苗場プリンスに宿泊したんです(笑)。これまでは越後湯沢の駅の近くのホテルに宿泊していたので、帰りの運転のために、早々にアルコールを引き上げなくてはいけなかったのですが、昨年は帰りの運転を気にせず、夜遅くまで思う存分飲むことができたし、朝から酔っぱらってステージに行くこともできるという、そんな不埒な過ごし方を堪能させていただきました。
━━そこですか(笑)。たしかにそれはプリンス宿泊者の特権ですもんね。
手塚 はい。あと昨年はアヴァロン・ステージの<アトミック・カフェトーク>に出演させていただいたんです。過去にアラヤヴィジャナ(AlayaVijana)というバンドのスタッフとして参加したことはあったのですが、自分が出演者としてステージに立つことはなかったので、見たことのない景色を見せてもらえたというか、とても思い出深い経験をさせていただきました。
━━ちなみに<アトミック・カフェトーク>ではどんなお話をされたんですか?
手塚 昨年の<アトミック・カフェトーク>は「戦後70年と原発」がテーマでしたから、私もそのテーマに沿って、手塚治虫が原発に対してどのような考えを持っていたか、環境破壊や人間と科学についてどのように考えていたか、そういうお話をさせていただきました。とくに原発問題に関しては、3.11の際にネットの書き込みなどで「アトムは原子力で動くじゃないか」、「手塚先生は原子力を推進していた」というような原作や手塚のメッセージを曲解した意見などもあったので、どうしてそのような誤解が生じたのかというようなことについても触れました。
━━昨年、アトムと岩盤のコラボによる<フジロック>Tシャツを展開されました。あのTシャツでアトムや手塚作品に関心を持った人もいるのではないかと思います。実際に会場でTシャツを着用していた方々もいたと思いますが、そんな様子をご覧になっていかがでしたでしょうか?
手塚 嬉しいですよね。実際に販売をしてくださっているところも拝見しましたし、会場で着ている方のこともチラホラと見かけました。ただ着ているのは年配の男性が多かったような、そんな印象がありましたね(笑)。
━━原作の連載は1952年から1968年ですからね。やはり年配の方のほうが思い入れは強いのかもしれませんね。昨年は「レジェンド×レジェンド」というテーマがあり、アトムは左利きのギターを持ち、モヘアの衣装を着て、あるロック・レジェンドに扮していました。その辺のリアクションはいかがでしたか?
手塚 それがですね、あるレジェンドとのコラボであることがちゃんと伝わったのかなって疑問がありまして(笑)。そのレジェンドは左利きなので、ギターの持ち手が逆なんですが、それをネット上で指摘されることが多かったんですね。「ギターの持ち手が間違ってませんか?」的な。モチーフとなったレジェンドが誰なのか解って貰えず、手塚プロがただ間違って描いていると思われて。ただ岩盤さんがレジェンドの正体(カート・コバーン)をあえて発表しないので、こちらとしても明言は控えておこうかと。本当は言いたくて言いたくてしょうがなかったんですけれど(笑)。
━━諸事情があったんでしょう(笑)。そして昨年に続き、今年も岩盤とのコラボによる<フジロック>Tが発売されます。今年はアトムが上空からグリーン・ステージを眺めているというデザインです。
手塚 今回のイメージは昨年からあったんです。あくまで個人的な想いなのですが、いつか<フジロック>とコラボするようなことがあれば、アトムが<フジロック>会場の上空を飛んでいるデザインのものを展開できたらと思っていて。
━━また今回のヴィジュアルでアトムはリストバンドをしていますよね。アトムが<フジロック>に参加しているという設定です。ただのコラボではなくて、こうした一歩突っ込んだコラボのあり方に、なんというか非常に<フジロック>への愛情を感じます。
手塚 そこはうちの営業とクリエイティヴのスタッフが話し合い、細かいところまで考えて作ってくれています。背面にもアトムがいますが、麦わら帽子をかぶって、折り畳みイスを持って、そして雨除けのポンチョを着ています。フジロッカーの定番アイテムを持って場内を移動しているという。うちのスタッフも<フジロック>に長年通っているので、そのあたりはよくわかっているんですね。まあ、もともとアトムはパンツ一丁なのでポンチョは必要ないかもしれないけれど(笑)。
━━ちょっと質問が飛躍するのですが、昨年から続くこのコラボも然り、手塚プロは二次創作について非常に寛容というか、理解のあるスタンスを取り続けています。だからこそ、手塚先生が他界された後も、作品やメッセージが後世に残り続けているのかと思います。作品を守る、後の世に残していくということについては、どのようなポリシーをお持ちですか?
手塚 手塚治虫が亡くなったのは1989年の2月9日。ちょうど昨日が命日で、27年前のことになります。今でこそ手塚プロは二次創作において、いろいろなチャレンジをおこなっていますが、あの当時は必ずしもそうではなかったんです。むしろ頑なに原作を守ろうとする、保守的な会社でもありました。作家が亡くなると、作家に代わって私たち手塚プロがしっかり作品の管理をしなければ、好き勝手に遊ばれ、消費されてしまう可能性があります。それを防ぎ、どのように作品を管理・運営していくのかというのは非常に大きな課題でした。それを重責に考えるあまり、当初は保守的になっていたところがあったんですね。
━━手塚先生の作品は手塚先生しか触ってはいけないというような。
手塚 そうですね。生前に父が最も心配していたことは、時代が流れ、読者が新しい世代に変わったときに、誰も手塚治虫を知らない、読まないという状況になることだったんです。「オレが亡くなったら、きっと作品がみんなから忘れられてしまう。だからもしオレが死んだとしても、3年くらいは内緒にしておいてくれ」って言っていたくらいで。私自身も同じ不安をもちました。新しい漫画が次々に登場し、手塚治虫を知らない世代の、新しい感性をもった読者が出てきたとき、父の作品はどうなってしまうんだろうかと。本屋にいっても一冊も売ってないという状況がいつか来るんじゃないかと。
━━そうだったんですね。
手塚 だからいかに新しい世代に手塚作品を届けるのかというのが、娘として私自身の課題にもなりました。そのためにはただ原作を守るだけではいけない。原作は大事にしなくてはいけないけれど、新しい読者へアプローチする入り口はもっと柔軟であるべきだと。関心のない人に読みなさいと押し付けても届くものではないし。まずは向こうに関心を持ってもらうことが重要ですよね。そう思っていた時に『鉄腕アトム』の生誕40周年というタイミングがあり、『私のアトム展』というトリビュート企画展をプロデュースしたんです。113名のいろいろなアーティストの方々に参加してもらい、それぞれの心のアトムを描いてもらったんです。結果、同じアトムの形状なのに、それぞれの解釈や想いがあり、113点のまったく異なるアトムが生まれました。それがとても話題になって、アトム世代でもない若い人たちがアトムに興味を持ってくれたんです。
━━とはいえ、プロダクションは頑な方向性に向かおうとしていたわけですから、手塚さんの思惑や企画との間に衝突もあったんじゃないですか?
手塚 そうですね。始めはプロダクションをかなり説得しました。他の作家にアトムを描かせるなんてタブー中のタブーでしたから。そのタブーを冒してまで、なぜやる必要があるのかというのを伝えて。最終的にはプロダクションの理解と協力が得られないと実現しませんから。その後もいろんなコラボ企画を持ち込んでは、城壁を崩し、年月をかけて色んな風穴を開けることで、手塚プロにも柔軟な価値観ができてきたと思います。最近は二次創作が行き過ぎている部分もあるかもしれないですけれど(笑)。原作を信頼しているからこそ、崩すことができるとも言えますね。
━━今回、手塚さんにこのようなお話をききたかったのは、<フジロック>も今年で20回目を迎え、次の10年、20年に向かっての歩みを進めていくうえで、守らなくてはいけない部分と変化しなくてはいけない部分があるのではないかと。手塚プロダクションの歩みの中に、何かそのヒントのようなものがあればということでこのお話ををさせていただきました。
手塚 <フジロック>は国内では最古参の野外ロックフェスであり、この国における野外フェスティヴァルの基礎を作ったフェスでもあると思います。その硬派な理念や姿勢はずっと変わらず守って欲しいと思います。でもいまや国内のフェスも多種多様になりました。世代も交替して若者向けのフェスもあるなかで、新しい世代にアピールしていくためには、頑ななスタンスだけではいけなくて、関心を持ってもらうための演出や工夫がより必要になってくると思います。一度でも会場に来てもらえれば、そこには<フジロック>でしか味わうことのできない素晴らしい体験があるわけで。それは手塚作品と同じ、中身については信頼できるのですから、どのような仕掛けをしても大丈夫じゃないかと思います。
━━手塚先生の漫画が決して安易な答えを用意せず、読者に自発的に考えさせることを喚起させるのと同じように、<フジロック>という環境に放り投げられると、最終的には自分で考え、自発的に動かないと楽しむことができない。安易な答えが用意されているわけではなくて、自分の力で考える、なんとかする。<フジロック>はそういうことも教えてくれる場でもあるような気がします。そういう点では手塚治虫と<フジロック>は、あながち離れていないというか、むしろ非常に近いものさえ感じてくるのですが、いかがでしょうか?
手塚 それはまさに仰る通りだと思います。<フジロック>に行くと、大自然の中に人間が放り込まれるわけですよね。今でこそいろいろな設備が整い、快適に過ごすための用意がされていますが、悪天候の日もあるし、容赦のない自然の中で、過ごさなくてはいけない。そういう中で過ごすことで、その人の人間力のようなものが問われるじゃないですか。「自分ってこんなに気が弱かったのか」とか「彼女や子供をどのようにケアするか、守るか」みたいなことに直面したり、気が付いたりする。そうした気づきや発見の中で、人知はより豊かに発展していく。またあの大自然の中で我々ができる限り自然に負荷を与えず過ごすために、人間、自然、科学、文明といったものと向き合いながら、思考を巡らせる。まさにそれは『鉄腕アトム』や手塚作品のテーマとも近いのではないかと思います。
━━またそうしたことを最高のエンターテイメントとして表現していることも、手塚作品と<フジロック>の共通点であると思います。
手塚 たしかにそうですね。あと思うのは、人生経験や年齢によって楽しみ方や感じ方が変わってくるのも<フジロック>の魅力のひとつだと思います。10代の頃に来て過酷だったという人が、20代後半になって再び来たら、前とは違った体験になるだろうし、子供や家族と来たらまた違ったものを感じられるかもしれない。手塚漫画もまったく同じで、小さいころに読んで難しいと思っていた作品が、大人や家族ができてから読むと理解できたり、逆に子供のころにしかわからない感覚だってあるかもしれない。そういうところも<フジロック>と手塚漫画の共通点と言えるかもしれないですね。
━━たしかに手塚先生の漫画は子供と大人ではだいぶ読み取れるものが変わってきますよね。本当に<フジロック>もそうかもしれないです。長年<フジロック>に参加し続けている手塚さんならではのご意見ですね。
手塚 だから1回来た人も、ぜひまた足を運んで欲しいんです。前とはまったく違う出会いや体験が待っているので。<フジロック>は、そうやってずっと付き合っていけるフェスティバルだと思います。
text&interview by Naohiro Kato
photo by Chika Takami
INFORMATION
フジロック’16×GAN-BAN 鉄腕アトムTシャツ
¥3,780(tax incl.)
カラー:WHITE、BLACK、BURGUNDY
サイズ:XS、S、M、L、XL
『SMASH go round 20th Anniversary』 FUJI ROCK FESTIVAL’16
新潟県 湯沢町 苗場スキー場