石野卓球、SUGIURUMN、ELLI ARAKAWA、DYGLという3DJ+1バンドが出演!<フジロック>のオフィシャルショップ「GAN-BAN/岩盤」によるオールナイトのアフター・パーティー<GAN-BAN NIGHT SPECIAL -FRF’17 AFTER PARTY> supported by MOVE LOUNGE_-が、9月29日(金)に渋谷クラブクアトロで開催されます。

今回は出演者インタビューの第3弾としてSUGIURUMNが登場。ワールドワイドな活躍を続ける人気DJは、過去には24時間セットを披露するなど頑丈さも世界レベル。今年の<フジロック>では主催側のラヴコールに応える形で、前夜祭も含めて4日間の皆勤賞となりました。レジデントDJを務めた「GAN-BAN SQUARE」では、「SUGIURUMN plays MADCHESTER & ACID HOUSE CLASSICS」と題し、文字通りのコンセプチュアルなセットで夜の苗場を沸かせています。そして、今回のアフター・パーティーに出演することで、20年を超える<フジロック>の歴史においても類を見ない、5日間オール出演がまもなく達成されることに。前人未到の領域に足を踏み入れたSUGIURUMNは、今どんなことを思うのか。アフター・パーティーへの意気込みを語ってもらいました。

INTERVIEW:SUGIURUMN

「彼らを驚かせることができたら、おもしろいことができている確信が得られるんですよね。」

01_fri_KentaKumei_web-1140x760 SUGIURUMNが語る、フジロックとアフター・パーティーのクロスオーヴァー

――<フジロック>出演、お疲れ様でした。まずは当日の感想から聞かせてください。

今回は豊間根さん(※)と相談を重ねて、マッドチェスターとアシッド・ハウス・クラシック、88年~92年までの音楽という縛りでDJすることになったわけですけど、すごく好評でしたね。<フジ>に来るお客さんの年齢層にも合っていたんだろうし、『T2 トレインスポッティング』が公開されたばかりという追い風もあって。普通のDJとしても出演したんですけど、全部これでよかったんじゃないかと思うくらい。4日間も出たのに、(出演時間が)足りなかったぐらいですね。

※『富士祭電子瓦版』の立ち上げ人であり、<フジロック>オフィシャルショップ・岩盤 / GAN-BANの代表を務める豊間根聡氏。

――DJでかける曲については?

毎晩来てくれる人もいるだろうから、あまり被らないようにしようと思って。日によって、曲のタッチもいろいろ考えましたね。だって、(土曜に出演した)ア・ガイ・コールド・ジェラルドの裏でアシッド・ハウスはかけられないじゃないですか。さすがにインチキ臭いというか(笑)。

――向こうは本物ですからね(笑)。

そういうときはロック寄りの選曲にしたりとか、いろいろ工夫して。お客さんからスタッフまで音楽をよく知ってるから、それも遣り甲斐になりましたね。

――改めての質問ですけど、「plays MADCHESTER & ACID HOUSE CLASSICS」というコンセプトはどうやって生まれたんですか?

前夜祭より先に、「GAN-BAN SQUARE」のレジデントDJとして3日間出演することが決まったときに、「何かテーマがあったほうがいいんじゃないかな」って豊間根さんと話していたんですよ。そこで豊間根さんも、(レーベルの)ミュート縛りとか提案してくれたんだけど、それはあまり盛り上がらなさそうな気がして(笑)。

――絶対おもしろいでしょうけど、フェス的には危ない橋ですね(笑)。

それで僕がElectric Glass Balloonというバンドをやっていた当時、自分にとってのユースカルチャーが、まさしくマッドチェスターやアシッド・ハウスだったわけですよ。他の人よりも詳しいし、何時間でもDJできると思ったので、そういうコンセプトでいくことにしました。

――最近はバンドの再結成やリイシューなんかもあって、その辺りが再評価されていますしね。だから今回のコンセプトも歓迎されたのかもしれない。

そうなんですよ!ストーン・ローゼズの再結成とかもあったし、若いミュージシャンも影響を受けているだろうから。そういう意味で、今回のDJでは昔の曲をかけるわけだけど、懐メロ大会にはしたくなかったので、そういう雰囲気にならなかったのは嬉しかったですね。アシッド・ハウスのバランスが良かったんだろうな。

――やっぱりSUGIURUMNさんのなかで、マッドチェスターやアシッド・ハウスは原体験として大きかった?

初めて海外に行ったのが20歳ぐらいのときで。ある劇団のお芝居で、ギターを弾く役としてドイツの公演に参加したんですよ。そのついでにロンドンに行って、しばらく現地に滞在していたんです。それがちょうど91年ぐらいの話で。ロンドンにいる間に、プライマル・スクリーム『Screamadelica』のリリース・パーティーに3回ぐらい行きましたからね。アンドリュー・ウェザオールがDJしていて。とにかく格好良かったし、衝撃を受けましたね。

04_sat_SayakaYuki_web-1140x760 SUGIURUMNが語る、フジロックとアフター・パーティーのクロスオーヴァー

――それにしても、<フジロック>に4日間も出演した人って過去にいたんですかね。

佐藤タイジさんとかやってそうだけどね。THEATRE BROOKで出て、他の日は誰かのバックで出演して……みたいな(笑)。そういうのは調べようがないみたいだけど、前夜祭を含めたら過去にないかもしれないらしくて。

――となると、やっぱり快挙ですよね。

これも豊間根さんとよく話すんだけど、記録というよりは豆知識だなって。でも4日間も出演できるのは幸せですよ。

――現地ではどういうふうに過ごしたんですか?

<フジロック>には毎回行ってますし、基本的にはあまり変わらないですね。ただ、今回は例年よりもピリピリしていたかな。今年は「GAN-BAN SQUARE」がリニューアルしたこともあって、プレッシャーに圧されてしまいましたね。どれだけ呑んだって酔っ払うこともなく(笑)。

――それだけ緊張感がすごかったんですね。そういうときは何を心の支えにするんですか?

僕がDJをしたりアルバムを作るときに考えるのは、周りの連中をびっくりさせること。すごい人たちに恵まれているから、彼らを驚かせることができたら、おもしろいことができている確信が得られるんですよね。

――そんな周囲のリアクションは?

それも良かったんですよ!エリアにも合っていたのかな。

――アルバムといえば、今年リリースされた新作『AI am a boy.』は80年代~90年代初頭のエレポップを思わせる愛らしい作品でした。

そうですね、明るいミュートというか。

――アルバムの手応えはどうですか?

概ね、評判はすごくいいですね。DJユースというよりはアルバム然としていて、そういう作品はSUGIURUMN名義だと初かもしれない。これまでは基本的に、クラブでかけることを前提に作ってきたから。(90年代末に)僕がSUGIURUMNを始めたとき、日本のクラブ・カルチャーはNY寄りだったと思うんですよ。今はどちらも全然アリでしょうけど、当時は卓球さんとかを除けば、ヨーロッパ的な作品を出している人はいなかったと思う。

――『AI am a boy.』のように英詩でド直球のエレポップって、卓球さんはそんなにやっていない気もしますね。

きっと恥ずかしいんじゃないですか。僕はそういうのを気にしないから(笑)。このアルバムは、卓球さんからの影響がかなり大きいと思う。僕はもともとバンドをやっていたから、当時は聴き方が欠けていたんですよ。DJするようになってから改めて聴くと、全然違うんですよね。

――というと?

このアルバムを作ったとき、卓球さんとよく遊んでいたんですよ。それで、パレ・シャンブルグやベーシック・チャンネルを一緒に聴いていたら、滅茶苦茶カッコイイなって。ニューウェイヴのように、その衝撃や初期衝動を大事にして作りました。スリリングで洒落が効いていて、演奏が熟練しているというよりもアート的。そういうのがやっぱり好きですね。

――「自分でもできる」と思わせてくれるのもイイですよね。

本当にそう(笑)。卓球さんもニュー・オーダーを聴いて、「これなら俺にもできる」と思ったらしいし。僕もジーザス&メリーチェインを聴いたとき、似たようなことを思いましたもん。「しかも、どの曲も全部一緒じゃん!」って(笑)。

――そんな卓球さんも登場するアフター・パーティーに、SUGIURUMNさんも出演されるわけですよね。本編に前夜祭も含めて、5日間皆勤というのは記録的な出来事だと思います。

誰もめざさない記録でしょうけどね、前人未到の豆知識(笑)。こんなに贅沢な話もないですよ。

――ここでも、<フジロック>でのコンセプトを踏襲するんですか?

いやいやいや! 今回は普通にやります。普通のDJもやるんだってところを見せておかないと。「あれ、今日はストーン・ローゼズかからねえなー」って文句を言われるようになるかもしれないし(笑)。

――共演者についても訊かせてください。卓球さんとの親交ぶりはよく伝わってきましたが、ELLI ARAKAWAさんについては?

本当に可愛いですよね(笑)。でも男らしいところもあって、DJも硬派だし。僕が共演したしたときも、渋いディープ・ハウスやミニマル・テクノをかけていて。

――ELLIさんにインタビューしたとき、SUGIURUMNさんのことを「日本人離れしたジェントルマン」だと仰ってましたよ。

嬉しいな。どこら辺がジェントルマンなんだろう(笑)。

――DYGLのことはご存知でしたか?

いやー、知らなくて。ちょうど取材が終わったら、この足でタワレコに寄ろうと思っていたんですよ(笑)。でも、バンドが入るのはいいですよね。

――DJとバンドが共演するオールナイト・イベントって、最近は減っているみたいですね。

僕がバンドをやっていた頃は、そういうクロスオーヴァーしたイベントがたくさんあったのにね。今はジャンルが細かく分かれすぎて、逆に窮屈になっている気がします。

03_sat_SayakaYuki_web-1140x760 SUGIURUMNが語る、フジロックとアフター・パーティーのクロスオーヴァー

――今回の会場となる渋谷クラブクアトロについて、何か印象的なエピソードはありますか?

Electric Glass Balloonのライブでソールドアウトしましたね。前座がサニーデイ・サービスだったときもありますよ。どうしても出してくれというから仕方なく(笑)。ヤバくないですか?

――ヤバイですね!

クアトロの思い出といえば、フレーミング・リップスの初来日ですね。96年ぐらいだったかな。昔から大好きなバンドで、それこそ曽我部(恵一)と観に行ったんですけど、前座がズボンズだったんですよ。これがもう、日本がズボンズを知った日になっちゃって(笑)。あまりに凄すぎて、フレーミング・リップスがかわいそうで観てられなかった。あれは悪夢でしたね(笑)。

――その話もヤバイです!

ただそのあと、フレーミング・リップスが『The Soft Bulletin』を発表するじゃないですか。その頃の来日公演に行ったら、映像や寸劇っぽい演出も素晴らしくて、本当に感激しましたよ。あんな酷い目に遭っても、いいアルバムを作ったらまた戻ってこれるんだなって。

――(笑)。そんな思い出の地であるクアトロですけど、DJとして出演するのは初めてですよね。当日はどんな感じになりそうでしょう?

会場の雰囲気もクラブ仕様になるらしいので、それも楽しみですね。自分のDJについては、新しい曲を中心にやろうと思っています。そういえば、さっき話した91年のロンドンだと、どのライブハウスに行ってもDJがいて、ダンス・ミュージックのあとにバンドが演奏していたんですよね。それがすごく良かった。今回も卓球さんやELLIさんのDJがあって、バンドのライブもある。とにかく楽しみですね。

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text&interview by Toshiya Oguma
協力:フジロッカーズ・オルグ