毎回様々なゲストに登場してもらい、<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>の魅力/思い出/体験談について語ってもらう「TALKING ABOUT FUJI ROCK」。今回は満を持して今年初出演を果たすマキシマム ザ ホルモンの登場です。日本屈指のライブバンドとして、これまでライブハウスはもちろんのこと、国内外を含む様々なフェス会場で観客を熱狂の渦に巻き込んできた彼らは、ドラマーのナヲの妊活、出産のため15年6月に一度ライブ活動を休止するも昨年復活。今年はいよいよ<フジロック>にやってきます。すべての作詞作曲を手掛けるマキシマムザ亮君に、これまでの<フジロック>での思い出や、当日に向けた意気込み、今年楽しみな出演アーティストを聞きました!
Interview:マキシマムザ亮君
「唯一僕らがまだ出演していないフェスが<フジロック>だったんで、「今年はフジロックいよいよ攻めっか」という気持ちがありました(笑)。」
――満を持してという言葉がぴったりだと思うのですが、今年は遂にマキシマム ザ ホルモンの<フジロック>への初出場が決まりました。
ありがとうございます。マンを自慰して<フジロック>に出させていただきます(笑)。これまでも色々とお話をもらってはいたんですけど、そのタイミングで<サマーソニック(以下、サマソニ)>にレッチリが来たり、メタリカが来たりと僕らが喜んで飛びついちゃうブッキングがあちら側に多くて(笑)、バンドとしては<サマソニ>に出ながら、<フジロック>には普通にお客さんとして遊びに行くような感じでした。こんなこと言うと生意気な話なんですけど、<フジロック>さん側には「システム・オブ・ア・ダウン(System of a Down)が来るときは僕らも出させてください!」と図々しく言ったりもしていて(笑)。自分たちの音楽性に近いバンドが出るときには出演できたらいいなという勝手な願望はありましたね。
――では、今回出演することになった決め手は何だったんですか?
ヘッドライナーに「ボブ・ディラン」ですからね。我々マキシマム ザ ホルモンが迎え撃つしかないでしょ!
――音楽性、だいぶ違いますけど(笑)。
全く(笑)。なんなら僕「ホフディラン」の方が10代の頃よく聴いてましたから。まあ、今回ヘッドライナーはHIPHOP色強めですけどね。そういうの抜きに、去年ライブ活動休止明けのライブ復帰のタイミングでありがたいことに日本各地色んなフェスに片っ端から出させてもらえて、唯一僕らがまだ出演していないフェスが<フジロック>だったんで、「今年はフジロックいよいよ攻めっか」という気持ちがありました(笑)。
――なるほど、そういうことだったんですね。マキシマムザ亮君の<フジロック>にまつわる思い出で印象に残っていることがあれば教えてください。
初回は97年ですよね? まだ学生だったと思いますけど、確か当時僕が18歳ぐらいの頃に、仲間とみんなでチケットを買って行ったのが最初でした。
――あの第一回の<フジロック>にお客さんとして向かっていたんですか。
地獄を味わってきました(笑)面白かったのが、この辺りの時期から<AIR JAM>のようなパンク系が盛り上がってきていて、お客さんも暴れたい欲がすごかったんですよ。それで、サザン・カルチャー・オン・ザ・スキッズ(Southern Culture On The Skids)やサード・アイ・ブラインド(Third Eye Blind)みたいな、本来モッシュやダイブをするタイプじゃないバンドでもみんなめちゃくちゃ暴れてて、異様な空気でした(笑)。フー・ファイターズ(Foo Fighters)がはじまった瞬間の盛り上がりもすごかった。でも、この年一番印象に残っているライブは、やっぱりレイジ(・アゲインスト・ザ・マシーン/Rage Against the Machine)かなぁ。このときのレイジは、ロケーションや雰囲気も含めて、今まで観た中でも一番すごいと思ったライブですね。当日は2日目が中止になるくらいのすごい嵐で、地獄のようなロケーションでしたけど。あと、当時はトイレも少なかったのか、みんな絶対モッシュの中で漏らしてたと思うんですよね……。会場の匂いがすごかった(笑)。実際、あのときはトイレなんて行ってられなかったですよ!
――まだ大型フェスの黎明期で、今ほど会場の環境が整っていなかった……(笑)。
そうですね。でも今思うと、「こんな凄いバンドをよく集めたなぁ」と思うメンツだったと思います。セカンドステージにはマッドカプセルマーケッツ(THE MAD CAPSULE MARKETS)やエイフェックスツイン(Aphex Twin)も出てたし、レイジの前にハイロウズ(THE HIGH-LOWS)っていうのも凄い。僕はハイロウズも大好きだったんですけど、演奏がはじまる頃には傾斜にいる観客全体が前に押せ押せの状態になってて、踏ん張らないと全員がドドドドッ!と将棋倒しになりかねない状況で。その緊張感はすごかったですね。踏ん張らないと倒れる、倒れたら潰されて絶対死ぬ!っていう恐怖から、客がハイロウズのメンバーに向けて「演奏やめてくれ!!」って必死でバツサイン送ってましたけど、バンドはテンションあがって次の曲に行く。もうこれはメンバーは客がテンションあがってエックスジャンプしてると勘違いしてるんじゃないかと(笑)。大好きなバンドが大好きなナンバーを演奏しているのに、「ヒロトー!演奏止めろー!!」ってみんな叫んでるめちゃくちゃ危ない状況でしたね。そのあとレイジが演奏をはじめたときに、ドレッドの刺青が入った外国人がモッシュしてきて、僕の真横にいたTHE BLUE HEARTSTシャツのパンクスと殴り合いのケンカをしたりもして、すげえカオスでしたね。
――マキシマムザ亮君が思う、<フジロック>ならではの魅力というと?
僕は<フジロック>を特別視しているわけではないですけど、「他のフェスには行かないけどフジロックだけは一人で毎年行く」みたいな「フジロックファン」多いですよね。確かに他のフェスにない空気感は唯一無二ですね。ただ、「自然と音楽、最高!」とか言ってなんかオーガニックな豆のコーヒー飲んでそうな「美大出身の素敵なアウトドアカップル」とかたまにいるじゃないですか。あんなん一番僕苦手です(笑)。あと「音楽通ぶった大人」も多いイメージだなー。そんで、そういう人たちって絶対ホルモンの音楽とか上っ面な見た目やバンド名のイメージだけで勘違いしたままちゃんと聴いてくれたりしなそうですからね。僕はこういう完全なる被害妄想を常に自分の中のガソリンとして燃やしてロックしてます(笑)。だからこそ<フジロック>にホルモンをぶちかましにいきたいんです。でも、そういえばひとつ<フジロック>に負けたことがあるんですよね。僕はつねに便サン(便所サンダル)を履いてて、子供の入学式や自分やお姉ちゃんの結婚式もスーツに便サンだし、葬式には黒の便サンを履いていくんですけど、そんな僕が、1回目の<フジロック>で地獄を見たからなのか、レッチリや電気グルーヴが出た2006年にメンバーと行ったときは、普通に靴を履いていきましたから。さすがの僕もびびったんでしょうね。大事な便サンが泥だらけで汚れてしまう事を…。ってそっちかい(笑)。
――わはははは!
その年はlocofrankや10-FEETといった友達バンドも出てたのかな、当時は彼らもまだ小さいステージでしたけど、メンバーでチケット買って観に行ったのを覚えていますね。スマッシュの関係者にインビをねだるという図々しさは当時の僕らはまだ持ち合わせていない可愛い時代です(笑)。その頃は僕らはシングル“恋のメガラバ”がヒットチャート入りした時期で、特に変装もせずに客席歩いていると「あ、メガラバの人だ!」ってたくさん声かけられました(笑)。夜になると雨も降ってレインコートもかぶっていたので声はかけられなくなったんですが、トイレで並んでいたら後ろの方から大声で「川北亮!」って僕のフルネームを呼ぶ声が聞こえて、誰かと振り返ったら10-FEETのTAKUMAでした(笑)。そんな風に、お客さんに混ざって楽しんでましたね。
――ナヲさんの妊活を挟んで復活した今のホルモンのライブは、みなさん自身はどんなものになっていると感じていますか? 休止前と比べて何か変化を感じるでしょうか。
その休止中のタイミングで、僕も100キロぐらいあった体重を落としたりもしたんで、復活に向けてメンバーと体力づくりは意識しましたね。僕の場合、生活習慣病で血液のいろんな数値がやばかったのが原因で痛風が足に来ないでちんちんに来ちゃって、デッドボールが急所に当たって「痛てえ!!!!」ってなるぐらいの激痛に急に襲われたんですよ。それで検査をしてみたら、色んな合併症起こしてて「食事と生活変えないと死にます」と言われたのがきっかけ。いい機会だし食事も生活を変えてみようと思ったんです。
――復活以降、気持ちの面での変化はあったでしょうか?
見た目が変わったので、ファンからは「あの頃のデブの方が良かった」っていまだに言われますけど、僕的には美味いもん好きなだけ食ってブクブク太ってたあの頃の方がぬるま湯浸かってた気がして、今の方がハングリーだと思います。深夜にラーメン二郎が食いたくなって、ついついYouTubeで「SUSURU TV.」(ラーメン二郎食べる動画をあげるチャンネル)を見て荒れ狂ってます(笑)。まあ、ジャンクフードも相変わらず好きなんでたまに食べて「うっめーーー!!!!!」って脳汁だしてますから、ジャンクな食べ物を「身体がまずい」と感じだしたら僕は引退します(笑)。体力面では多少余裕は出てきたかもしれないですね。100キロ時代は汗の量がひどすぎて、体より先にギターがビショビショなって、音が死んじゃうパターンありましたからね。