<フジロック>に第一回から参加し続け、音楽とともに環境活動にも携わってきたタワーレコード。その担当者が坂本幸隆さん。同社の「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーン、この音楽ファンなら誰もが知る企画をスタートさせ、それを手掛け続けてきた人物でもある。そんな、いわばミスターNO MUSIC, NO LIFE.でもあり、<フジロック>の生き証人でもある坂本さんは今年、タワーレコードを退職することになり、今回の<フジロック>への参加が最後となる。このタイミングで、その29年に及ぶ歴史を振り返っていただいた。

「行ってこい」で始まったフジロックとの関係

「最初は、一週間後に<フジロック>というフェスが始まるから、お前たち行って来いって、当時の社長に突然言われて参加することになったんですよ。どこで開催されるの? 誰が出演するの? って感じでした」

そう語るのは、タワーレコードのブランドマネージメント部の部長を務める坂本幸隆さん。<フジロック>には初回から関わり、以来、29年間、タワーレコードの担当者として<フジロック>に参加しサポートし続けてきた人物だ。同社の「NO MUSIC, NO LIFE.」のキャンペーンをスタートから現在まで手掛けてきた方でもあり、その音楽愛溢れたジェントルな人柄は音楽業界ではよく知られてもいる。

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▲第一回の<フジロック>のタワーレコードブース。一般的なイベント用テントにバナーを取り付けただけの簡易なものであった。

「一回目は当時外資系で社長同士が親しかった縁で直前に声がかかり、とりあえずレコードバッグを配る形で参加することになったんですが、翌年からも続けようとなったんです。ちょうど同じ97 年に、NO MUSIC, NO LIFE.のキャンペーンも始まっていたこともあって、それが『音楽を応援しよう』というテーマでしたから。それにまだ他に日本ではロックフェスってなかったですからね。ジャズやレゲエのフェスはあったけど。社長が外国人で欧米でのフェスの盛り上がりを知っていたから、という側面もあったかもしれませんね」

一回目が終わった後に関わった人が集まってミーティングが行われたそうだ。

そこで、現スマッシュの社長の佐潟さんと「<フジロック>を継続するために、何をやったらいいですかね?」という話になり、そこで「ゴミの問題が大変だったからゴミのことをタワーさんでサポートしてくれないか」となったという。

「それでNGOのA SEED JAPANを紹介してもらい、いっしょに活動していくことになるんです。ゴミ袋を初めて作ったのは苗場で開催された99年。それからずっとゴミ袋を作って配ってます。袋を作る製作費を負担して、作業自体もずっといっしょにやっていましたね。近年でこそ T シャツを売ったりもしてますけど、以前はずっとNGOといっしょに働いていました。タワーのブースもNGOのブースの端にありましたからね。本当にゴミ袋がメインだったわけです」

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▲NGOのA SEED JAPANといっしょに活動をしていく中で、ずっとゴミ袋を作り続けてきた。それは、iPledgeになっても同じ。本当にゴミ袋がメインだった。

ゴミ袋から生まれた参加型の取り組み

現在<フジロック>のごみゼロナビゲーション活動を担っているのは、A SEED JAPANから独立したNPOのiPledge(アイプレッジ)。そのゴミ袋の製作はタワーレコードが担っている。

▼NPO iPledge 濱中聡史さんのコメント

NPO iPledgeは、「ごみゼロナビゲーション」という来場者参加型の環境対策活動を担っています。いまでは「エコ」や「サステナブル」という言葉が当たり前のように使われていますが、当時はまだそうした価値観が一般には広まっておらず、ゴミの分別に取り組むこと自体が珍しく、来場者にも戸惑いがあった時代でした。そんな状況の中で、まだ活動の基盤も整っていなかった私たちに対して、音楽シーンを代表する存在であるタワーレコードさんが真摯に向き合い、共に現場で取り組んでくださったことは、環境活動を続けていくうえで大きな後押しになりました。

「ごみゼロナビゲーション」は、来場者がただ協力するのではなく、自ら関わり、フェスの環境をともにつくる参加型の取り組みへと進化してきました。坂本さんやタワーレコードさんは、ゴミ袋の提供に加え、iPledgeとのコラボでオリジナルのタオルを制作し、キャンペーンの参加者を増やしてくれました。あのタオルを身につけることが、「自分もこのフェスを支えている」という誇りや一体感を生み出していたと感じています。そうした“参加の可視化”の積み重ねが、「世界一クリーンなフェス」と言われる今の<フジロック>の姿につながっているのだと思います。

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▲<フジロック>会場で撮影された写真が「NO MUSIC, NO LIFE.」のポスターに使用されたこともあった。KEMURIとともに写っているのは、収集されたゴミ袋とA SEED JAPANのスタッフ。

97年から<フジロック>をサポートし続けてきたタワーレコードだが、その29年間に<フジロック>をサポートする企業は入れ替わってきた。音楽業界も日本経済の状況もこの四半世紀で大きく変わったのだから、それも当然。むしろタワーレコードがそれを続けて来られたことの方が例外的。ましてや、その間に親会社が幾度も変わったことを考えれば、不思議ですらある。

「<フジロック>のサポートは宣伝やマーケティング活動がメインではなく、社会貢献やCSRの面が強かったので、逆に続いてきたんだと思います。これがビジネス目的だけだったら、続けられなかったんじゃないですかね」

森とフェス、その交わる場所で

タワーレコードはごみゼロナビゲーションだけでなく、「フジロックの森」を通じた森林保全活動も長年サポートしてきた。

▼フジロックの森プロジェクト実行委員会 中島悠さんのコメント

私は、新潟県、湯沢町、<フジロック>の主催者、苗場地域の皆さんと協働して立ち上げた「フジロックの森プロジェクト」の事務局を務めています。このプロジェクトでは、フジロックの森で実施する「ボードウォークキャンプ」の企画・運営をはじめ、フジロックの森から伐り出した木材を活用した「フジロックペーパー(印刷物)」の製造、さらには会期中に使用される割り箸の製作など、自然との共生を体現する取り組みを行っています。

<フジロック>が新たにエコなチャレンジをするとき、いつも最初に相談するのはタワーレコードさんです。特に坂本さんには「やりましょう」と、いつも力強く背中を押していただいてきました。その一言が私たちの活動を動かすエネルギーとなり、数々の取り組みを実現してきました。

また、少し個人的な話になりますが、私が初めて<フジロック>に関わったのは18歳のときでした。当時、NPO iPledge(旧アシードジャパン)で「ごみ袋配布」のポジションを担当していて、大きな入場ゲート前で初めて来場者と接する重要な役割でした。その現場で一緒にごみ袋を配っていたのが、タワーレコードの坂本さんでした。大勢のボランティアとともに活動する中、緊張していた私に、坂本さんは終始あたたかなまなざしで接してくださり、大きな安心感を与えてくれました。環境意識をフェスの中で自然に広げていく姿勢や、周囲を巻き込む柔らかくも力強い姿を間近で見たこの経験が、今の私の活動の原点になっていると思います。

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▲<フジロック>会場内を縦貫する「ボードウォーク」。

「フジロックとタワレコは似ている」

毎年<フジロック>に参加し続けてきた坂本さんだが、スタッフとして働いているため、ステージを見られる機会は限られている。それでも印象的なライブは数限りないという。特に思い出深いモノをあげてもらうと……。

「あるとき、携帯の充電がなくなってしまっていったんホテルの部屋に戻ったんですよ。そしたら、ちょうどピラミッドガーデンでハナレグミがやってたんです。ホテルの部屋で充電してたら、山の方から『オリビアを聴きながら』のカバーを弾き語りでやってるのが聴こえてきて……。それがすばらしくよくて、部屋で充電しながら聴くという不思議な状況も含めて感動したんです」

ある意味でこれもまた<フジロック>らしいエピソードなのかもしれない。最後に、そんな偶然生まれる体験について語ってくれた。

「昔、日高さん(スマッシュの前代表)と話している時に『<フジロック>とタワレコは似ていると思うんだよね』みたいなことを言ってたんですよね。例えば、お店にふらっと行ったときに流れてる曲とか、試聴機でたまたま聴いたヤツがよかった……みたいなことってあるじゃないですか。<フジロック>でも、通りがかりに偶然耳にしたアーティストのライブがすごいよかった! ってよくありますよね。そういうところがすごく似てて、お互いによいと思ってる点なんだよねって話したんです」

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▲20 周年の際につくられた「NO FUJIROCK, NO LIFE!」のポスター。苗場のステージで歌う忌野清志郎の写真が使われた。

「今は配信とか何かのアルゴリズムでレコメンドされてくるわけじゃないですか。選んでるつもりが選ばされてるみたいなところがあるかなって。<フジロック>もタワーレコードも誰かがキュレーションはしてはいるんですけど、経済性とか効率性とはちがう観点でもキュレーションされてはいますし、<フジロック>の場合、天候の要素もあったりしますしね。同じアーティストのライブでも雨と晴天のときだと全然ちがう印象になったり。そうした偶然性みたいなことこそ、やっぱりリアルの、フィジカルの強さだし。いつの間にか決められたメニューの中から選ぶような感じには、タワレコも<フジロック>もならないで欲しいなぁとは思います。便利になるのもいいですけど、そんな偶然の出会いが生まれる部分は、これからも大切にし続けて欲しいですね。

そういう“自分で考えて、自分で選んで、自分で責任を持つ”様な姿勢や態度って音楽に関わらずこれからの時代ますます大切になると思うし、音楽の現場でそういうきっかけを持ち帰れるのがフジロックの良いところの一つだと思います」

Photo by Atsushi Hasebe
text&interview by Shota Kikuchi

PROFILE

坂本幸隆(さかもとゆきたか)

広告代理店を経て、1994 年タワーレコードに入社。以来、タワーレコードの広告とブランディングを担当する。その印象的なキャッチコピーとポスタービジュアルで知られる「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーンを 1997 年からスタート。コーポレイトボイスである NO MUSIC,NO LIFE. の制作全般を手掛け続けている。