TOSHI-LOW「彼らは優しく話しかけてくれて、本当に優しさが一人ひとり滲み出てた。」

0419_bandabassotti_03 ベスト・アルバム発売記念対談!BRAHMAN・TOSHI-LOW×花房浩一が語る、“闘うバンド”BANDA BASSOTIとは?#fujirock

――バンダ・バソッティのメンバーとの交流で印象に残っているエピソードは何かありますか?

TOSHI-LOW 当時、俺たちはまだまだ小僧で、心を閉ざしてた時期だったの。言語の壁もあるけど、あんまりコミュニケーションを取ろうともしてなかった。それでも、彼らは優しく話しかけてくれて、「あれ食え、これ食え」とか、断っても「じゃあライブ終わってから食え」って、とっておいてくれたり。本当に優しさが一人ひとり滲み出てた。でも、よくよく考えてみると、今俺らが当時の彼らと同じくらいの歳になってる。四十代半ばくらい?

花房 確か、一番年長だったシガロが俺のひとつ下なんですよ。62歳、で亡くなった。だから40ちょっと過ぎくらいか。

TOSHI-LOW ですよね。だから、今彼らと同じ年齢になって考えたら、自分も逆の立場なら同じようなことをするんだろうなって思う。「いいからちょっと来いよ」って、こっち来てなんか食えよってさ。

花房 当時初めて会ったBRAHMANは、すごい緊張してるんだろうなと思ってた。だって、海外で全く勝手が分からない上に、集まってるお客さんのタイプも多分まったく違う。反応ないんじゃないかとか、下手したら何か放り投げられるんじゃないか、とか思ってた。結局そういうのは全然なかったけど、お客さんは呆然としてる感じではあったよね。何だろう、このバンド? みたいな感じで見てたと思うんだけど。でも、良いステージだったんだよ。そこで、バンダ・バソッティが、なんとか支えようとしてたのがすごく伝わってきて。そういう人の良さっっていうのは、もうほとんどイタリア映画を見てる感じだよね。

TOSHI-LOW うんうん。俺たちも、なにしろ投げつけることしかできなかったので。もうバンとやって、バンと終わってみたいな。そういうコミュニケーションしか取れなかった。今だったら全然違う方法はあると思うんだけども。だから2002年とか03年とかのあのツアーは苦い思い出になってる。

花房 でも、自分の中ではさ、その経験もすごく大きなものになってるんじゃないの?

TOSHI-LOW もちろん、もちろん。そういう後悔があるからこそ、今度はこうしようっていう思いがちょっとずつ心の中にあって。だけど、結局自分たちのスタイルをずっと変えられないまま30代後半を迎えていたんですけど。その時に、東日本大震災があって、それがきっかけになって解放したというか、今まで自分たちはこうあらなければいけない、みたいなスタイルをぶっ壊しちゃった。2002・2003年頃の後悔が大きいからこそ、今はありがたかったなって思える。当時は「ありがとう」の一言すらまともに言えなかったんですから、今思えば自分でもアホだなって(笑)。

花房 それはみんな同じだよ。俺もイタリア語わかんないし、英語でしゃべるけど、連中も英語しゃべれる奴はほんの少しだったからね。

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――その後、2002年にバンダ・バソッティは<フジロック>に出演し、翌2003年にはBRAHMANも出演した日本ツアーを行いました。

花房 最初の<フジロック>出演は、クロージングバンドを務めたんだよね。で、あのときはジョー・ストラマーが出演した最後の年だよね。みんなでジョーに会いに行ったりして、面白かった。彼らもすごい喜んでたしね。だって、日本ではまったく無名のバンドなのに、ある程度最後までお客さんが残って楽しんでくれて。あれは良い経験したと思う。さっきも話したけど彼らのライブは本当に政治集会みたいな感じだったんだ。それと似たような感覚をフジロックでも感じたんだと思う。それで彼らは後に“フジロック”っていう曲まで作るようになるわけ。その次の日本ツアーでは、色々とあったんだよね。

――色々、とは?

花房 名古屋のライブに行った時、バンダ・バソッティのツアーだって銘打って書いてたのに、BRAHMANがトリだったんだよ。それに俺がブチ切れて、「そんなの詐欺じゃねえか」って。まぁ、やってる人の気持ちは分かるんだよ。バンダ・バソッティで人が集まるわけないから、BRAHMANが来てくれて、お客さんも入ってくれるっていうのは分かるんだけど。でも納得いかなくて、バンド・メンバーでもありマネジメントもやってるダビデに、バンダ・バソッティのツアーで、なんでBRAHMANが最後に出てくるんだよ、おかしいだろ! って。そりゃファンを裏切ることじゃないか「お前ら詐欺師だ」ってブチ切れたんだよね。

TOSHI-LOW (笑)

花房 一応その後の大阪は、バンダ・バソッティが最後にやったわけさ。でも、みんな気が気じゃないわけ。その前にBRAHMANがやるわけじゃん。てことは、BRAHMANやったらお客さんみんな帰っちゃうんじゃないの?って、真剣に心配してた。ところがね、BRAHMANのお客さんがね、残ってくれたんだよね。まあ当然、少ないかもしれないけどバンダ・バソッティのファンもいて。その時のライブがまた凄いライブだったんだよ。でも、その話をBRAHMANの側から聞いてたTOSHI-LOWくんは、何なんだよ、この親父! って思ってたはずなんだよ(笑)。

TOSHI-LOW (笑)そもそも自分たちがトリをやりたいとか言ってるわけでもなく、お願いされてやってるんだけど…… っていう。その頃の花房さんは、一回火がつくと何言っても聞かないみたいな。「いや、人がいた方がいいじゃないですか。得取りましょうよ」みたいなのが一番嫌いだから。「おまえも詐欺師の片棒担ぐのか!」って。いや、誰も敵じゃないって、全員味方だってっていう(笑)。でも、2003年はなんかみんながギシギシしてたよ、みんなが一枚岩でもないっていう。ただライブをやりたいのはやりたかったし、成功させたいっていう思いはすごくあって。でも、俺らはこういう怒りっぽいおじさんが好きだから<フジロック>が好きだったし。

一同 (笑)

TOSHI-LOW 怒られるのは免疫あるから。いろんなとこで怒られてきてるからね。ただ、理不尽だなとは思ったけどね(笑)。

花房 確かに(笑)。でも、BRAHMANに怒ったんじゃないよ。BRAHMANがいてくれたから、あれだけお客さん来たんだし。そのお客さんを彼らが引き込んじゃったら、それはものすごい彼らにとってメリットにもなるわけだし。まぁ、そういうこともあったよね。