ベスト・アルバム発売記念対談!BRAHMAN・TOSHI-LOW×花房浩一が語る、“闘うバンド”BANDA BASSOTIとは?#fujirock

今年、実に14年振りとなる<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>出演を果たすイタリアン・パンク・シーンの重鎮、バンダ・バソッティ(BANDA BASSOTTI)。常に政治的な主張を崩さず、社会活動を継続しながらレベル・ミュージックを鳴らしてきた彼らの30年以上のキャリアを総括するベスト・アルバム『LA BRIGATA INTERNAZIONALE』が本日4月19日にREXY SONGからリリースされます。

ベスト・アルバムのリリースと<フジロック>出演を控え、バンダ・バソッティと親交の深い二人による対談が実現。話を伺ったのは、音楽ジャーナリストで、2002年からバンドのオフィシャル・カメラマンを務め、本ベスト・アルバムの選曲と解説執筆を担当された花房浩一さん。そして、2002年と2003年にバンダ・バソッティのイタリア・ツアーに帯同し、03年に行われた日本ツアーでもサポートを務めたBRAHMAN・TOSHI-LOWさんの登場です。

二人とバンダ・バソッティとの出会いから、ライブを通して体感した彼らの魅力、昨年12月に訃報が伝えられたメンバー・シガロへの思い、そして本日リリースされるベストアルバムと<フジロック>でのライブへの期待まで。バンドと身近に接してきた二人だからこその視点から、BANDA BASSOTTIの魅力と本質が窺い知れる対談となりました。

Interview:TOSHI-LOW(BRAHMAN)×花房浩一(音楽ジャーナリスト&写真家)

花房 「今までのバンドの世界の常識が覆されるっていうか。何なんだ、このバンドは?っていうのがまず第一印象だった」

――まずは、お二人がバンダ・バソッティと出会ったきっかけを教えてください。

花房 確か2002年だったかな? The 3Peace(※)のヨーロッパ・ツアーに付いて回っていた時に、プロモーターをやっていたショーゴ(※)に紹介されたのが最初。その時に会ったのはピッキオとシガロで、普通に市内観光を一緒にしたんだよ。その時も仕事終わりだったみたいで、大工道具みたいなものを入れたバッグを持ってた。

※The 3peace(元KING BEESの原広明、元メスカリン・ドライヴの永野かおり、元ブルーハーツの梶原徹也が97年に結成したバンド。2002年に活動停止)

※小宮山ショーゴ(音楽プロダクションJAPONICUS主宰。レベル・ミュージックやメスティーソ音楽を中心に数多くのバンドを日本に招聘するとともに、日本のバンドを海外に紹介する活動を行っている)

TOSHI-LOW その時もずっと仕事してたんだ。

花房 その頃は普通の仕事をしつつ、バンドをやってるって感じだった。ローマを歩いてる時に、そこら辺に転がってる石ころを拾って「これは遺跡の一部だ」みたいな話をしてくれて、「すげえな、この街!」って思ったのを覚えてる。その時はバンドのことを何も知らないから、ただ一緒に観光して話をしてただけだった。

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――花房さんは、その直後からカメラマンとしてバンダ・バソッティと関わるようになるんですよね。

花房 それも急な話だったんだよ。いきなり「金出すから、お前スペインまで来い!」みたいな連絡が来て、ようやくバルセロナに着いたらすぐにライブハウスまで連れて行かれて、速攻で写真を撮り始めるっていう。そのツアーは全箇所ついて周ってたんだけど、移動距離がすごかったな。全部車で、スペインからフランスを通ってローマまで戻って来る、みたいな。でも、その時に撮った俺の写真を気に入ってくれて、それから5年くらいオフィシャルでカメラマンをやることになるんですよ。BRAHMANと初めて会ったのは、その後のツアーだったよね?

TOSHI-LOW そう。俺らがバンダ・バソッティと関わったのは、2002年4月にイタリア・ツアー(STREET BEAT FESTIVAL)に呼んでもらったのが最初。ショーゴさんからオファーをもらって、二つ返事で「行きたい!」って。当時の俺たちは恵まれた環境にいて、デカいイベントに呼んでもらったり、ライブの集客も日本ではよかったけど、何となく自分たちの中でこのままじゃダメだなっていうのを察していて。このままだと大事なものが失われていくんじゃないかっていう危機感があった。そんな中で「海外で厳しい条件だけど行く?」って言ってもらって、その話に飛びついたという。観光バスみたいな固い座席のバスで移動して、4日間連チャンでライブみたいなスケジュールだったから、案の定体調は崩したけどね。

花房 確かに大変だったと思うよ。あっちはまずライブが始まるのが遅くて、終わるのも超遅くて、それが終わってから移動したり、とりあえず仮眠くらいの感じで安い宿に泊まったり。でも、それが彼らのデフォルトなんだよね。

TOSHI-LOW 今だったら全然大丈夫だろうなって思うけど、あの頃は俺らも若造だったからダメで。「マジでこんなとこに泊まんの?」みたいな環境が続いて、最後は声も全然出なかった。悔しい思いしたな。

――初めて観たバンダ・バソッティのライブはどうでしたか?

TOSHI-LOW むちゃくちゃ凄かったですよ! 「ローマで一番」みたいな話は聞いてたんだけど、観る前は「うっそー、こんなおっさんが?」みたいに思ってて。

花房 ははは(笑)

TOSHI-LOW でも、始まってみたらローマのヴィラジオ・グローバーレっていう会場が人いっぱいで。

花房 あの時は確かにすごかったね。俺が最初に彼らのライブを観たのはさっき言ったスペインなんだけど、今までのバンドの世界の常識が覆されるっていうか。何なんだ、このバンドは? っていうのがまず第一印象だった。というのは、オーディエンスがずっと大合唱で、ほとんどバンドカラオケ状態なんだよね。しかも日本のバンドみたいに全員同じ格好して同じところで手を上げて、みたいな感じとは全然違う。客層がすごいよね?

TOSHI-LOW そうそう。パンクの中でも、ストリート・パンクの奴から、きったねぇパンクス、90年代っぽい奴まで、多種多様で層が厚い感じ。日本にも1万人集めるバンドはいるけど、そういう単一の1万人とは違って、本当にワーキング・クラスのちゃんとしたパンクスや輩が1万人来てる。その強さが、そこら辺の1万人とは全然違う。

花房 そう、だからお客さん一人ひとりの熱量が違う。全員が「俺たちのバンド!」みたいな感じで来てるわけ。一緒にあそこまで歌を歌うバンドってほとんど見たことない。

TOSHI-LOW 集会みたいだったよね。

花房 そうそうそう! それだよね! なんか政治集会をやってる感じ。で、実際に曲と曲の間で「ベルルスコーニがどうこう」みたいな話もするんだよね。

TOSHI-LOW そう。当時は俺らもガキだったから政治的な話もヨーロッパの事情もよく分かってなくて、バンドが中東に人道支援してるとか聞いても、何をどうしてるのかいまいち分かってなかった。だけどそのライブで度々出てくる話だったり、旗を振ったりすることに対して、オーディエンスが「うわぁー!!」ってなってるのを目の当たりにして、「バンドってこういうことなんだ」って衝撃を受けた。

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花房 バンダ・バソッティという名前は、ディズニー・キャラクターのビーグルボーイズのイタリア名なんだけど。もともと、みんな政治集会とかの現場スタッフだったんだよ。シガロを中心にそういうメンバーが集ってバンドが始まって、当初はメンバーが十数人いて、ボーカルも何人もいるようなバンドだったらしい。彼らにとって音楽は趣味でなければ遊びでもなく、自分たちの主張を訴えるための手段の一つだった。だから普通に平日は仕事をして、土日にライブをする。弱い人たちを助けるために、時にはお金をもらえないとこに自分たちでお金出して行くわけ。そういう活動が続けられなくなって、彼らは96年に一度活動を休止するんだけどね。

TOSHI-LOW それは仕事と両立できなくなったというのもあるのかな。

花房 そういうことだよね。人気が出たことで、要求が増えすぎてしまったんだと思う。彼らはフェルミン・ムグルサ(Fermin Muguruza)やマヌ・チャオ(Manu Chao)と仲間なんだけど、活動休止前にフェルミンがスペインの警察について批判したら訴えられて、裁判闘争になるという出来事があった。その裁判の支援のために、バンダ・バソッティは最後のライブをやったんだけど、もしフェルミンが勝訴したら祝福のためにまたライブしようぜって約束をしていた。それが実現したのが2001年で、6年ものブランクがあるから人もあまり来ないだろうと思ったら、とんでもない数の人が来て、その中には新しい若い子たちもいたんだって。そういうファンの続けて欲しいという願いを受けて、活動を再開したんだよ。その時のライブの様子は、『Un altro giorno d’amore』というアルバムにもなって残されてる。

TOSHI-LOW 俺が好きだったのも、彼らが自分たちで勝ち取ってやってるんだっていう感覚があるところで。彼らのライブ会場は、ちょっとスクアッドみたいな感じで、デカい空き地みたいなところに自分たちで機材を入れてやってるの。それはいわゆるDIYっていうのとはちょっと違って、「そうやって、やっていくものなんだ」っていうライフスタイルというか。それはかっこいいと思ったよ。

花房 彼らがツアーをする会場のほとんどは、イタリア語で「セントロ・ソシアール(centro sociale)」っていって、要するに「ソーシャル・センター」なんですよ。空き家とか廃屋になってる場所をスクアッドして開放して、職のない人とか弱い人たち向けのコミュニティ・センターみたいな感じにしている。イタリアでは、それを何年か続けると認知されて、合法になるんです。その中にクラブもあればバーもあって、イタリア中に大小含めて100カ所以上ある。さっき言ったローマのヴィラジオ・グロヴァーレは、要するに「Global Village」ってことなんだけど、工場の跡地みたいな場所。冬は寒いし、防音設備なんてない。街の真ん中でデカい音出してるのに、許されるっていうのも凄いよね。

TOSHI-LOW しかもライブは始まるのは23時とかだからね。すごい環境。