毎回様々なゲストに登場してもらい、<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>の魅力/思い出/体験談について語ってもらう「TALKING ABOUT FUJI ROCK」。今回は、初の日本武道館公演を完売させ<フジロック>には5年ぶりの出演となるBRAHMAN・TOSHI-LOWさんの登場です。<フジロック>初出演の思い出から、BRAHMANやOAUでの音楽性について。昨年問題となった<フジロック>でのゴミ問題など、<フジロック>への思いを語っていただきました。
Interview:TOSHI-LOW(BRAHMAN)
「オメエが好きな洋楽を聞くだけがフジロックじゃねえんだ」
——BRAHMANとして出演したのは苗場一回目の99年でした。
豊洲にも行っていたんだけどね。<AIR JAM>が近くの会場でやっていたこともあって。何しに行ったのかは忘れたけど、フェス創世記だったから、フェスってこういう感じなのかって見たかったのかもしれない。バンドとしての付き合いは99年の苗場から。そのときはホワイト・ステージで。
——99年からしばらくは、アウトドアの装備を持っていなかった人が多かったし、コンビニで売っているような半透明のビニールカッパも少なくなかった。
みんなが装備をしっかり持ってくるようになったのは、ここ最近ですよね。昔とか外国から来た人が、雨の中、ゴミ袋をかぶって思いっきり踊っている姿を見ると、これは戦争になったら負けるわって思う(笑)。身体とメンタルが強い。富士山でもヒールのパンプスでそのまま登ってしまう白人女性がたまにいて、すげえなって笑ってしまう。こっちはさ、いろんな状況を考えて、寒さや風対策もして、いろんなものを持って登っていく。楽しむことの自力が装備に勝るっていうか。行っちゃえっていう感じがあるじゃないですか。今の時代は、行っちゃったことで迷惑をかけたとかで責められてしまう。でも行っちゃっていいところは行っちゃっていいはずで。
——確かにフェスであればなおさらその気持ちも大切なんだと思います。
寒かったら自分が風邪をひくだけ。規制だらけじゃなくて、それを許される余地が残されていることが、<フジロック>の良さだと思いますね。
——99年から参加していて、<フジロック>の変化を感じていますか。
感じていますよ。装備も含めて、みんなが初心者だった。みんなが手探りのところから始まって、途中で快適に<フジロック>を過ごしたり、<フジロック>通になっていったりして、みんな<フジロック>を楽しみだした故に、今度は<フジロック>という存在を自分のものだというふうに思い過ぎる人たちが出てきたことによって、その人たちが「フジロックはこうあるべきだ」という勝手な妄想を膨らませていった。そして<フジロック>以外の世代であったり、例えば<フジロック>と毛色の違ったバンドが出た際に文句を言うみたいな流れが生まれたときに、ああやっぱり変わっていくんだなって思って。いわゆる老害みたいな(笑)。こだわりとか信念とはまた別の、自分たちのものだっていう所有感と排除感。俺はそれがまったく好きじゃないんで(笑)。
——その感覚って、どうしても好きが強くなり過ぎると出てきますよね。
出てくるし、俺たちにも向けられる。「お前らを見に来たんじゃねえよ」というような感情をわざと出してくる人たちはやっぱりいる。俺的には<フジロック>は自分の心の拠り所のフェスだと思っているけれど、他の人から見たら「お前らはいなくていいよ」って思われていることもわかっている。でもその厳しさも俺はフェスではありだと思っているから燃えるけどね(笑)。
——5年前にBRAHMANがヘッドライナー前に出演した際には、いろんな意見が出ました。
あのときの文句もひどかったね(笑)。俺だって自分からそこでその時間でやりたいって言ったわけじゃなくて、NINE INCH NAILS(ナイン・インチ・ネイルズ)とMY BLOODY VALENTINE(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)に挟まれたのは俺らのせいじゃねえよって。だけど決まったのだからそこでやるしかないわけじゃないですか。そんなときに、好きじゃないけど一生懸命やっているんだなっていうことが伝われば、俺たちの意志が通ったっていうことになるし、プイッっとされればバンドの実力で文句は言えないわけだし。
——その部分で言えば、日本のバンドマンにとっては<フジロック>は厳しい場だと。
決して楽な場ではないよ。
——海外のアーティストを目的に来ている人が多いですから。
そこにひと枠あるのなら、そこに海外のアーティストを入れて欲しいのになんで日本でいつでも見られるお前らが入るんだよっていう、そういうふうに感じていて。そもそもごちゃ混ぜになっていることこそ<フジロック>なわけだっていうもともとの理念をわかろうとしていないんだと思うんです。「オメエが好きな洋楽を聞くだけがフジロックじゃねえんだぜ、ばか野郎」っていうのもある(笑)。
——かつては忌野清志郎さんが<フジロック>のイメージというかメッセージを担っていました。
大きな象徴となれる人がいるといいんだけど、ああいう存在を失ってしまったときにどうしても分散してしまう。<フジロック>じゃなくても、清志郎のカバーをやらせてもらうことが俺は多くて、俺に回ってくるものは辛辣なメッセージの曲もある。TOSHI-LOWだったらこれは歌えるでしょうっていうことでイベントから振られる。それを一生懸命やるんだけど、TOSHI-LOWが清志郎の政治的なメッセージの部分だけを口にしているという伝わり方になってしまう。でも俺からすれば清志郎の曲だよ、と。そもそも清志郎が歌に込めたものをお前らが理解しなかったから、清志郎は苦しんだんじゃないかって俺は思うわけ。清志郎には大きなラブがあることがわかっているし、それをひっくるめて清志郎なのになあって。ファンの人は自分の好きな部分を断片的にしか見ないことが多いから。
——清志郎さんが亡き後、メッセンジャーとしての存在も担っていると思うんです。
いやいや、俺が清志郎の代わりのメッセンジャーになろうとは思っていないし、その代わりの役目をやろうとも思ってないけど、たまたま身体が強いんで(笑)。反戦でも反原発でも、そうなるべきだって思っていることは何でも言うし、そのメッセージを発信し続ける覚悟は持っている。
——自分の信念のものであれば。
自分の信念のものと、やっている歌が結びついていいなあと思えれば。ただ俺は音楽ありきだと思っているんです。政治的なメッセージ、演説だけを聞きたいかっていえば、それはフェスでなくてもいいよって思うけど。トークセッションやアトミック・カフェみたいなのも、ライブ感があるからそれも<フジロック>的で面白いなと思うけどね。
——どう考えても社会全体は20年で右傾化しているというか、戦争が身近なものになっています。パワハラやセクハラという言葉も社会のなかで当然のように使われている現実もあります。
<フジロック>は受け皿がでかいと思っていたんだけど、そうじゃない人たちも入っているんだっていうことが現象として現れているんだなって思う。結局、苗場に1日4万人とか5万人とかが集って、小さな社会を作るわけでしょ。どこかしら社会の縮図であって。もちろんロック好きの開放的な人たちばかりが4万人集まることが理想だとは思うけど、やっぱり100人にひとりはバカだし、ずるいことをする奴がいるし、犯罪する奴もいる。社会的な考え方が右傾か左傾かにかかわらず、偏っていくことの割合が、そのまま反映してくるものだと思う。
——社会という視点で考えれば、いろんな人がいなければおもしろくないですから。多様性があることによって個性も引き立つわけですし。
いろんな人がいて、いろんな人が自分の意見を言ってもいいっていうことが、実は本当はおもしろい。だけどそれを言う最低限のルールは、他の人たちを排除しない、差別しないっていうことだと思う。
——尊重するとか。
尊重することまではいかなくとも、共存するスペースをお互い明け渡すみたいなこと。そのなかで自分の主張もする。差別する、排除すると考えている人は、叩き潰していいと俺は思っている。なぜなら共有するっていうルールを守らないんだから。