「大きなことを変えるには、小さな一歩からだと思う」
——他にこの20年で変わったところは感じますか? 去年はゴミがすごく多くなっていました。
若い世代の方がちゃんとしているよね。なぜなら、自分が能動的に行こうと思ったときにはすでにフェスがあったし、たぶん俺たちが子どもの頃より若い世代が子どもだった頃の方が街がきれいだったと思う。俺たちの時代ってもっと猥雑さもあって、すごかったじゃないですか。生活排水も汚かったし、川で泳ぐなんてことはできなかったし、川には泡みたいなものがポンポン浮かんでいたし、臭いし。子どもの頃の街の裏側って汚いイメージがあって、都会もそういうイメージを持っていて。今の時代の方が、そういうことに対してはキチンとしている子が割合的には多いんじゃないかなって思っていて。じゃあ誰が捨てているかっていうことですよね。
——去年は雨がずっと降っていたということも汚かったひとつの要因だろうし、海外から来た人が多かったこともひとつの要因かもしれません。アメリカやヨーロッパのフェスは汚いってよく言われているけれど、日本以上にゴミがないきれいなフェスも多くなってきているんです。エコロジーの文化がある白人社会では、クリーンなフェスがあってもむしろ当然といえば当然で。
ゴミが落ちているときに、じゃあどうすればいいのかって思うんですね。そのときに<フジロック>が汚くなったと嘆くのは簡単だけど、じゃあ誰かのゴミをあなたはひとつでも拾いましたかっていう意識が足りないんだと思う。<フジロック>が汚くなったっていうことで終わるんじゃなくて、目の前にゴミが落ちていて、ゴミステーションがそこにあるんだったら、誰のゴミかわからないけど、持っていっちゃえっていう気持ちの余裕が、去年の<フジロック>に関しては少なかったんじゃないですかって。その原因が降り続いた雨だったのかもしれないし、もちろんやり散らかした人が多かったのかもしれないけど。俺は個人が大事だし、ロックでひとつになろうなんて思ってもいないし、みんなで手をつなごうなんてヘドが出る。だけどああいう場に自分がいたとしたら、しゃあねえけど、誰かのゴミが目に入っちまったら持ってっちゃおうと。例えば誰かが倒れていたとしたら連れて行くじゃん。見て見ぬふりはできない。<フジロック>を共有するというイメージの低下があるんじゃないですかね。俺たちがフジロッカーなんだよって威張っていたおじさん、おばさんがいたとしたら、それをやるべきだと思うんですね。私たちの<フジロック>をきれいにしようって、率先してそれをやる。そしたらそれを見ている人たちは、「あ、そうか」と思うはず。みんな背中を見るから。意識の低下を嘆くよりは、ひとつでもいいから自分で行動してみる。その背中を見せることによって、誰かがちゃんと見ている。それは若い世代かもしれないし、マナーの違う外国人かもしれないけど、真似をすると思う。少なくともそれをやっている人の前ではゴミをポイと捨てられない。
——ひとりずつの好きにつなげる行動をそこで表現することが必要。
それが低下してしまっているんじゃないですか。
——TOSHI-LOWさんがオーガナイズしている<ニューアコースティックキャンプ(以下、ニューアコ)>では、そのあたりのことをどう伝えているのですか。
<ニューアコ>は<ニューアコ>を楽しめない人には帰ってもらっているから。まずは率先して俺たちがゴミを拾う。テントを自分たちでちゃんと張れて、芝生を焦がしたりしないで、ペグは抜くとか、最低限のルールを守れない人はそもそも来ないでほしいと。もし途中で違うと思って文句を言いたくなったら、俺は受けて立つ。俺たちが間違っているのならチケット代を返していいと思っている。それを徹底してやっているんです。(フジロックの)日高さんがもうちょっと若かったらもっと荒くやると思いますよ(笑)。
——日高さんも今でも同じような思いを持っていらっしゃるんでしょうね。
目立つところではゴミ問題が浮上してきたのかもしれないけど、フジロッカーの人たちも<フジロック>の精神をちゃんと受け継いでいる人たちもいっぱいる。そういう方々が支える側に回れば、みんなが思い描いている<フジロック>というものがまた感じられると思います。
——<フジロック>が子どもに対しての虐待じゃないかってニュースになったときもありました。子どもにとっては環境として劣悪だと。
うちの子どもなんて生まれたときから虐待ですよ(笑)。その子にとって虐待かどうかっていうのは、親の愛情の問題でもあるから、ちゃんと水を飲ませたり、日陰で休ませたりしておけば、問題ないって。
——混んでない時間を選べば、それほど苦痛も少ないと思います。
子どもの方が体力がありますからね。疲れたら寝ればいい。いいチャンスだと思うんですけどね。音楽を通じて、自然も感じられて、そのなかでみんなで場を作っていくことって生きて行く上でもとても大事なことだと思っているから。
——時代の変わり目が来ているのかもしれないですね。
常識の変わり目というか、社会通念で許されたていたものがすべてに関して変わりつつあると感じているんです。タバコとかもそうだけど。言ってしまえば、昭和が完全に終わるんだなって。
——平成も2019年で終わるわけですし。
今回は平成最後の<フジロック>っていうことじゃん。考えてみれば、平成という時代はずっとグレイだった。昭和で許されていたものが、まあいいじゃんっていうレベルで収まっていたけど、だんだんダメってなっていって。
——白黒ハッキリの時代になっていくのかもしれないですね。
白黒ハッキリしているものなんか、世の中にほとんどないのに。こっちが黒だって信じていても、白って別の見方をする人もいるわけだし。
——<フジロック>ではどんな楽しみ方をしていることが多いのですか?
苗場食堂の池畑潤二のセッションとか、突然「TOSHI-LOW、今いるだろ?」って呼ばれたりするのは、プレッシャーだけどとてもうれしいことでもあって。
——ピラミッド(・ガーデン)だったり(ジプシー・)アバロンだったり、今年もいろいろお呼びがかかるんじゃないですか。
やれって言われればもちろん喜んでやりますけど……(笑)。世代や価値観を超えて一緒にやれるのもフェスの楽しみだと思うから。
——音楽ってそうやってつながっていくのがいいところですよね。
自分たちが若いときに思っていたロックとか、俺はパンクだけれども、それってかつては一代限りのものだったわけじゃないですか。歴史がそんなに古いわけじゃない。ロックが生まれてから60年とか50年とかでしょ。一代のイメージしかなかったものが二代になり、ひょっとしたら三代になっていくっていう流れをイメージして自分の行動をしていけば、間違った方向には行かないと思うんです。自分から三代先の世代までこのフェスが同じ場所で続いていくためには、じゃあそのひとつとしてゴミはどうすればいいんですかって考えればいいこと。ちゃんと選んでいけば、本当は導かれて正しい方向に行くはず。一代今宵限りのロック幻想みたいなものが大き過ぎて、違った方向に行ってしまう人もいる。そりゃあ、その場だけで楽しんでいるあんたはいいんだけど、せめて次の年のことくらいはイメージして、ちゃんと同じ場所でやれるように考えて行動しましょうって。人のことを言えないほど、俺は酔っ払ってしまったこともあるけど(笑)。
——たぶんちょっとの気遣いなんですよね。
社会的にもそういう気遣いがなくなっているじゃないですか。みんな血相を変えて自分の主張ばかりをしている。ちょっと許してあげればいいのにっていうことが多い。弱い人には文句を言いふらすような世の中。強い奴には言わないくせに(笑)。
——社会のコミュニケーションとして健全じゃないような気がします。
それが今の社会だとしたらそれも認めつつ、そうじゃない社会を楽しむために、こういうフェスのような非日常のなかで自分たちが楽しむためには、じゃあどうすればいいのかっていうことを考えれば、そうじゃない逆の方向が見えてくる。そっちじゃないんだよ、こっちなんだよって見えてくる。人がぶつかってきそうになったら、ちょっと横にずれるっていう感覚でいいわけじゃん。
——何もぶつかっていかなくてもね。
自分の仲間だけが楽しめばいい。例えば前の方で場所とりしたり、そんなことはしなくてもいいわけだし。
——知らない人だと許せなくなってしまう人間の性ってどこから生まれてくるんでしょうね。
今年の<フジロック>はほんのちょっとだけ優しくしてみるとか。そして、文句を言う前に自分で行動する。大きなことを変えるには、小さな一歩からだと思う。その小さな一歩の流れに自分がなってみる。それをやってからの文句なら聞きますよ。
text&interview 菊地崇
photo by 横山マサト