Y1_9462 BRAHMAN・TOSHI-LOW に問う “フジロックの問題点”とその未来#fujirock

「ザ・ポーグスのボロボロのシェインが立っただけで俺は泣きましたからね。」

——BRAHMANとOAU(OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND)では、フェスでのスタンスが変わったりするのですか。

OAUはすごく気楽だけどね。お酒を飲みながらもできるし。OAUは音楽をもっと楽しもうという自分もいる。BRAHMANの場合は音楽を楽しもうっていうよりは、自分たちのなかの挑戦とか、乗り越えていくっていうなんかがあって、運動に近いような、修行に近いようなものも多いから。興味の度合いは一緒なんだけど。

——それぞれの個性があるバンドです。

ふたつのバンドがあることによって自分たちが助かっているというか。俺たちだって、あたりの強いハードコアパンクという側面だけしかなかったものが、ゆっくりアコギで歌うとか、響きを感じるとか、OAUをやることで感じられるようになった。またそういう人たちの音楽に対しても興味が出たのも事実。そこからいろんな人たちと友達になったし。かつては「なんだ、この眠い音楽は」って思うことも多くて。それは他のジャンルの音楽に対してもそうで、例えばブルースに対しても「なんだ、おっさんのつまらない音楽だ」って思っていた。自分がやりだすと、それが本当に表面だけしか見ていなくて、奥にたくさん深いものがあるんだなっていうことがわかる。

——音楽もそれぞれの文化があり深さがあるから。パンクもそうだし、ブルースもそうだし、フォークもそう。

偏ってたが故に、俺にはまだまだ触れていない音楽がいっぱいある。だから逆にそれが楽しみなんです。新しいものに出会える可能性がある。その意味で言えば、<フジロック>は移動している間にふらりと見たライブでも、「知らないけどなにこれ?」っていう音楽に出会うことが楽しいし、知るチャンスがあるから。

——<フジロック>は出演するアーティストもいろんな国から集ってきます。

すごい有名なアーティストでも、あまり聞いていないってこともあるじゃないですか。もちろんライブを見たこともないし。そういう知っていた人でも「やっぱりすごいんだ」って再確認させてもらうこともある。

——CDで聞いていてもライブではまた違った一面が感じられることも多いですから。そもそもBRAHMANを始めたきっかけってなんだったのですか。

もともと15歳の頃からバンドをやっているので。バンドっていうのが、自分の生きて行くうえでの表現というか。なんでもよかったんです。バイクに乗ることとか、もっと悪いこととか。ツールのひとつがバンドだったんです。

——昔から歌一本で?

歌しかなかった。ギターが弾けたらギターをやっていましたよ。ドラムを叩けたらドラムをやっていた。俺は楽器ができなかったので、ボーカルしか選択肢がなかった。ボーカルも自由自在いろんな声が出るわけじゃなかったから、つぶやくか叫ぶっていうことしかできなくて。それがたまたま自分のやっているパンクロックというものには合ったんだと思う。

——清志郎さんのカバーを聞いていても、TOSHI-LOWさんの声は説得力を持っていると感じます。

いや、ないない。ただ自分の役割は果たしたいなと思っている。すべてできるなんて本当に思っていないし、だからこそ自分がやれる部分を自分がやれるベストを尽くすことが…清志郎に対してもそうだし、音楽に対してもリスペクトしているっていう形になるんじゃないかなって。俺なんか基本的にはふざけていますけど、ふざけるのも一生懸命ふざけ切ろうと思っているしね。

——悪ガキのままなんですよね。

だってBRAHMANのような音楽をやっていて、真面目だけでやっていたらつまらないじゃないですか。想像力を膨らませて、もっとこうじゃねえかと、言い方かもしれないけど鼓舞したり叱咤激励して、そこから発生する新しい誤解が新しいものを生む気がするんです。

——<フジロック>のステージは、自分たちのライブとは違うものですか。

やれば一緒ですけど、<フジロック>は厳しさもあるステージなので。けれどそれは戦意が下がる理由にはならないっていうか。むしろ俺たちは負の要素があることで上がるタイプで、つっけんどんにされればされるほどやってやろうじゃんってなるから。

——その意味でいうと、客席までTOSHI-LOWさんは入っていくじゃないですか。<フジロック>ではどんな気持ちを持って客席まで降りていくのですか。

上手に歌が歌えるボーカリストだったらあんなことはしないですよ(笑)。ステージってすべてがステージだと思っているんで、どうやったっていいわけですよ。ザ・ポーグスのボロボロのシェイン(・マガウアン)が立っただけで俺は泣きましたからね。バッド・ブレインズのHRにいたっては、指を上げただけでみんながダイブを始めた。もはや歌わなくてもいいんだって。ああいうボーカルになりたい。歌うとかを完全に超えているでしょ、存在として。HRが出てきた瞬間にひっくり返ったもんなあ。歌ってねえじゃんって。歌ってないけど最高。それを何かに当てはめて、CD通りじゃないとか、歌詞を間違えたとか、ライブの楽しさってそういうことじゃないじゃないですか。そこにいることがライブであって。あれを<フジロック>では感じたいんですね。

——余白というか遊びというか自由さというか、<フジロック>はそこがまだ残されているんでしょうね。

ボブ・ディランがドタキャンになっても大丈夫じゃないかって。やっぱりそれはダメかな(笑)。ギリギリ大丈夫であってほしいなって思う(笑)。