毎回様々なゲストに登場してもらい、<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>の魅力/思い出/体験談について語ってもらう「TALKING ABOUT FUJI ROCK」。今回は2日目に9年ぶりの出演を果たすASIAN KUNG-FU GENERATIONから、ゴッチ(後藤正文)さんの登場です。今や日本を代表する人気バンドのひとつとなったアジカンの<フジロック>初出演は、2003年深夜のROOKIE A GO-GO。このライブが評判を呼び、翌年レッド・マーキーに出演したバンドは、06年に初のグリーン・ステージ出演を経験しました。最新作『ホームタウン』を引っ提げての今回のステージは、果たしてどんなものになるのでしょうか。これまでの<フジロック>での思い出と、今年の意気込みについて聞きました。

Interview:後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)

「フジロックならではの景色は色々とありました」

――まずはアーティストとして<フジロック>に出演する前のことを思い出してほしいのですが、<フジロック>はASIAN KUNG-FU GENERATIONが結成された翌年の97年に始まっています。当時の後藤さんは、<フジロック>をどんなふうに見ていたんですか?

第一回が開催された97年はまだ大学生で、僕はテスト期間中で行けなかったんですけど、「日本にもロック・フェスができる」「このメンツが一日で観れる」ということで先輩たちが騒いでいたのを覚えていますね。誰かが行くとか行かないとかいう話を聞きながら、羨ましいなぁと思っていました。でも、自分はテストだから「チャンスないよな」って(笑)。

――興味は持ちつつも、1年目は諦めることになったんですね。

そうなんですよ。そうしたら、当日は台風で大変なことになったみたいで。

――いまや伝説として語られることも多いエピソードです。

ただ、当時はまだネットがそれほど発達していたわけではなかったんで、実際に現場がどれくらい地獄だったかは、行った人の話を聞くぐらいしかなかったんですよ。「友達の友達が行ったけど、大変だったらしいよ」って。そうこうしているうちに、2年目は会場が豊洲に決まって、「行けるじゃん!」と思ったんです。それが初めて向かった<フジロック>でした。

――当日のことを思い出してもらえますか?

めちゃくちゃ暑かったのはよく覚えていますね。途中で水が売り切れて、ドリンクがビールしかなくなったりもして(笑)。あのときは、特別暑かったはずで、救護室にも人がごろごろ転がっていましたね。アーティストは、ベン・フォールズ・ファイブ(BEN FOLDS FIVE)やイアン・ブラウン(IAN BROWN)が出てたのかな?(2日目)。でも何より、そのとき観たTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが、めちゃくちゃかっこよかったんですよ。当時はまだ上手く言葉にはできなかったと思いますけど、ちゃんと観客に支持されていて、その結果フェスに出ているという――。嘘くさくない、政治で出ていない感じに、かっこよさを感じたんです。当時はフジロックを皮切りに、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTやAIR、Dragon Ashが出ていた<MTV TOKYO COOL CAMP 97>のような野外イベントがどんどん増えてきて、ちょうど時代が変わっていたところで。中でも豊洲での<フジロック>は「すごいな!」と思って帰った記憶がありますね。そのときは、海外アーティストがどうこうというより、とにかく「THEE MICHELLE GUN ELEPHANTみたいなバンドになりたいな」と思って帰りました。

0524_gotch_01 9年ぶりの出演!アジカン・後藤正文が見てきた、フジロックの景色#fujirock

――そもそもASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンド名も、MICHELLE GUN ELEPHANTのように単語を3つ繋げようという発想で生まれた名前だったそうですね。

ああ、確かに。そうですね。当時って、洋楽と邦楽の垣根が今よりもっと分かれている部分があったんですよ。今では日本のバンドが海外のバンドのオープニングアクトとして動員の救世主になることもありますけど、昔はもっと冷たい感じで、その洗礼を受けている人たちを、自分もたくさん観てきました。そういう壁を壊すような役割を、<フジロック>も担ってくれたんだと思います。その当時からユニバーサルな感覚で音楽を作っているバンド自体はたくさんいたから、<フジロック>みたいな場所ができて、そういうバンドが出られる場所が増えることは希望があるなと思ったし、「俺たちも出たい舞台ができた!」「ここにいつか立ちたい!!」と思いました。「俺たちもいつか、グリーン・ステージに立たなきゃダメだ!」って。

――なるほど。そしてASIAN KUNG-FU GENERATIONとしての<フジロック>初出演は、03年のROOKIE A GO-GOでした。時間帯がかなり深かったんですよね?

日曜日の朝の4時ぐらいですね。そのときは緊張がすごかったです。「ここでしくじったら次はない」と思っていたから、とにかくいいライブをしなければいけないと思っていて。でも、そういえば当日、僕らの前に三宅洋平君のバンドがめちゃくちゃ長いセットをやって、そのせいで現場のスタッフがピリついていていたんですよ(笑)。当時はまだ若かったんで、「ふざけんなよ!」って思いながらやっていたのが03年ですね(笑)。本当に緊張しました。その結果、次の年はレッド・マーキーに出られることになって――。このときは、興奮して演奏したし。お立ち台のようなところに登って歌ったような記憶がありますね。

――ROOKIE A GO-GOは若手アーティストをフックアップする場所ですが、そこから<フジロック>に出演して、翌年レッド・マーキーに出演した経験は、どんなものだったのでしょう?

フェスはメディアとしての機能も持ちますから、出られたら自信になる人もいますよね。<フジロック>には色んなバンドが出るし、民族音楽のような音のバンドから、日本のインディ・ロックやラッパーのようなアーティストまでいて、その多様性がいいなと思います。

――その後、初めてグリーン・ステージ立ったのは06年のことでした。

06年は海外の人たちに褒められたイメージがあって、「なんでこいつらがJETより前なんだ」って言ってもらったりしたのを覚えています。ただ、その次に出た2010年のグリーン・ステージの方が、スロットは朝一でしたけど、演奏もお客さんの反応もすごくよかったんですよ。朝一なんでお客さんの集中力も高くて、すごくいいライブになったのを覚えています。やっぱり、昼過ぎだとみんなご飯を食べて飲みはじめているし、よくなかったのかな(笑)。06年のときは、グリーン(・ステージ)での自分たちの出演までに時間があったんで、オレンジ・コートまで赤犬を観に行きました。そうしたら、メンバーが(劇団四季の)『ライオンキング』のキリンみたいに長い竹馬に乗って登場してきたんですけど、それが全然前に進まなくて、ステージに上がるまでにめちゃくちゃ時間がかかっていて。それが最高に面白くて、ちょっと緊張がほぐれたりもしましたね。

――<フジロック>はこういう場所なんだ、と(笑)。

僕たちは割と生真面目なバンドなので、「ああ、これでもいいんだ」って(笑)。

――グリーン・ステージに出演したということ自体はどうでしたか?

嬉しかったですよ。ただ、実は前の年に、グリーン(・ステージ)からの風景を見る機会があったんですよ。というのも、05年に僕がニュー・オーダー(New Order)の“Krafty”の日本語バージョンの詞を担当することになって、その関係で<フジロック>の彼らのステージに「観にこいよ!」と誘われたんです。

――ああ、ありました! 当時、僕も買いました。

日本語、もうちょっと練習してから歌ってくれたらよかったんですけどね(笑)。何も考えなくても音が当たるように韻を踏んで考えたのに、実際にバーニーが歌ったものは全然そうなってなかった……。

――ははははは(笑)。

それで、彼らが<フジロック>でも「日本語で歌いたい!」と言い出したんです。「いやいや、みんなきっと原曲が聴きたいと思うし、やめた方がいいよ」と伝えたんですけど、バーニーは「絶対歌う!」と言っていて。それで、「ステージ横にいてくれ」って言われて、僕はあのステージ横で彼らの演奏を観ていたんですよ。そのときに、バーニーとハグして写真も撮らせてもらいました。あと、プライマル・スクリーム(Primal Scream)が出ていたからだと思うんですけど、そこにマニがいたり、憔悴しきったボビー・ギレスピーがうろうろしていたりもしましたね(笑)。それで、そのときに観たグリーン(・ステージ)の景色が、すごく綺麗だったんです。06年に自分たちのバンドで出たときも、初めての場所ではなかったから、気持ちとしては落ち着けたと思います。

0524_gotch_02 9年ぶりの出演!アジカン・後藤正文が見てきた、フジロックの景色#fujirock

――後藤さんが<フジロック>で観たライブの中で、思い出に残っているライブというと?

01年に初めて苗場の<フジロック>に行ったとき、「ニール・ヤング長げえ……!」と思ったのは印象的でした。「ギター・ソロ長げえ……!」って(笑)。その頃まだ21~22歳ぐらいだったと思いますけど、大学の後輩と一緒に行って。そのときはずっとグリーン(・ステージ)でライブを観て飲んでいましたね。面倒くさがりだったんで、会場の奥まで行くことも全然なくて。それで、帰りにクルマのバッテリーが上がっていることに気づいて、「これどうするんだよ!」って(笑)。

――やばいですね(笑)。

あれは面白かったなぁ。オアシスがヘッドライナーで出ていて、その年は喜多(建介)くんが行けなかったんで、「今やってるよ!」と電話中継をしました(笑)。たぶんオアシスか、マニックス(Manic Street Preachers)のときですね。他には、<フジロック>で観たレディオヘッドもよかったですし、ビョークのときにめちゃくちゃ雨が降ってきたのも思い出です。<フジロック>ならではの景色は色々とありました。