ゆっくり休憩できたんですね。

母:はい。「よくオレンジまで子ども3人連れて行ったね」って言われましたけど、オレンジまで行くとゆっくり休めますね。あとはトイレに並んでいたときに聴こえてきた桑田研究会バンドがものすごく面白くて。雨だったことによって、ステージに合わせて動くというよりかは子ども中心で動くという判断をしたので、そのときそのとき観たバンド、偶然が良かったです。

フジロックでは偶然の良さがいっぱいありますよね。

母:そうなんですよ。だって、桑田研究会バンドなんか絶対鹿児島では観れないですもん。トイレ待っている間もみんな楽しく待てたのは、あの方たちのおかげです(笑)。研究って言葉がぴったりだなあって!

他にも偶然の出会いはありましたか?

母:フィールド・オブ・ヘヴンで、声がすごいハスキーでジャニス・ジョプリンの声にすごく似た人が出ていたのも良かった。ジャムバンドみたいな。

マーカス・キング・バンド?

母:です、です! フィールド・オブ・ヘヴンの空気とすごくよく合っていて本当に良かったんです。子連れなのでライブは半分諦めていて、それはいい諦めなんですけど、そういう思わぬ出会いみたいのに出くわして「これ意外にいい」とか「ライブってやっぱ全部いいな」って思えたんですよね。それに、あそこのマーケットがすごい良くて。

ヘブンのマーケットは手作りのオーガニック系などが多いですよね。

母:雨降っても着替えも買えるし、ここでけっこう調達できたんじゃないか、持ってこなくても良かったんじゃないかって。子どものKEENとかも売ってたので、あそこで買えばよかったなって。

お話を聞いている限り、けっこうキッチリとまわられてますよね?

07-2 【こどもフジロック】子連れフジロッカーズ・インタビューVol.5 〜生重家・鹿児島から苗場へ〜

08-2 【こどもフジロック】子連れフジロッカーズ・インタビューVol.5 〜生重家・鹿児島から苗場へ〜

母:そうですね。ドラゴンドラに乗れなかったことだけが悔いですけど、そこは諦めて。夜は寒かったので、ところ天国で温かい汁物が欲しくてラーメンを食べました。すっごい並びましたけど、子どもたちは遊びながら席を確保と言って、川原のこの石が座りやすいと見つけてきてくれたり。あと、ゴミの分別がまた楽しくて。私たちが住んでいる街もゴミの分別の項目がすごく多いんですけど、これが生ゴミとかプラとか紙ってもう分かってるから子どもたちもぱっぱっぱって分けて。

もともとやってるからとはいえ、子どもたちも自分で分別したんですね。

母:キャンプではゴミを置いていかないことにしているのと、この人たちはウミガメの保護活動をしているんですよ。小学校にウミガメの孵化場があって。人の力でっていうのはあれなんですけど、でも、力を貸さないと卵が鳥に食べられちゃうので、人工孵化場というか、ただの砂場なんですが、そこで生まれた亀を放流するっていう活動をしているので、海に浮かんでいるプラスティックのゴミがどういう風にやってきたかとかを学んでいて。街に落ちているプラゴミが風で飛んで海に行って、ウミガメのお腹でいっぱい発見されたとか、そういう勉強を必ず小学校でするので。だからプラゴミは拾いますし、分けますね。でも帰り道、グリーン・ステージがものすごいことになっていて。ボランティアの人たちもきっと、どっから手をつけていいかもわからないくらいになっちゃってて。書かれてましたよね、残念だったってね。

マナーの低下が叫ばれていますね。

母:フジロックは世界一綺麗なフェスっていうのを、それを教えたかったですね。でもいいんです。この人たちは自分たちで分けることをしていたし、そういうスポットでは大人もみんな分けてたし。でも、みんなヘリノックスの椅子を持っていましたけど、やっぱり椅子は要らない。

なぜそう思いますか?

母:子どもの目に刺さると危ないし、椅子を持ってきていた若い人たちが「このバズーカは置いていきたいくらいだ」って言ってました。

他に、危険を感じたことは?

母:ホワイトでのくるりとコーネリアスのあたりの“人間流れるプール”みたいな状態のときが一番危なかったですね。ヘリノックスが宙を移動していて。あのとき、オザケンも本当はこれからっていういいところでしたが危ないと思って「今夜はブギーバック」が終わった頃、妹と「もう出よう」と判断して。グリーン・ステージに向かう波に乗ったら妹たちとはぐれて私たちはキッズランドに出る方へ行って「来ないねえ」って待っていたんですよ。そこではオザケンはもう聴こえないけど、みんなが歌いながら、踊りながら歩いている風景を見ながら「いいや、これでオザワが帰ってきた」みたいに思えたし。ただ、子どもとは手が離れないように、名前を呼び合って。オザケンのファンは子連れも多くて。

世代的にもそうですよね。

母:みんなで「大丈夫ですか?」とか、ベビーカーの人がいれば「ここに赤ちゃんいるからね」みたいな声がけもあって。妹たちとはレンタルシューズの返却もあったので「KEEN前に集合!」と連絡を取り合って合流できました。妹たちを待っている間もエイフェックス・ツインのグリーン・ステージの盛り上がりも聴けたし、贅沢でしたね。

その頃、ものすごい雨が降りましたが大丈夫でしたか?

母:野外でこんなに雨に降られて、「フジロック来たな」って感じた瞬間でした(笑)。でも歩いていたからかもしれないですけど、そんなに気にならなくて。一番雨がすごかったのが、Tシャツ売り場を抜けてシャトルバスに乗って駐車場へ向かうあたりだったので、バスの中もギュウギュウで。座れなくて立っていたら、子どもたちに席を譲ってくださった男性二人から「どこから来たんですか?」と聞かれたので「鹿児島からです」と答えたら「えええ!」と絶叫されました(笑)。その方たちは新潟の方々で、そういうあたたかなムードで帰ったんですよ。

09-2 【こどもフジロック】子連れフジロッカーズ・インタビューVol.5 〜生重家・鹿児島から苗場へ〜

子どもたちもそれを見ていますし、いい体験ですね。

母:次男なんかはもうウトウト、フラフラしてましたけどね(笑)。レンタカーに荷物を積んでホテルへ帰ると、入り口に靴を洗う桶やブラシが全部置いてあって、部屋にはカップラーメンまで置いてあって。お帰りなさいって。

ほっこりしますね。

母:はい。温泉も付いている部屋だったので、子どもたちは温泉に入ってまた元気になるっていう(笑)。そして私のスマホには来れなかった私のオザワ友達からメッセージがいっぱい入っていて「今からピラミッドが始まるらしい」とか。まあ、それは諦めたんですけど。翌日はホテルでお土産を買って、鹿児島にすべて送ってからレンタカーを返して。駅でフジロック公式クッキーを見つけて「なんだ、こんなのあるじゃん!」と言って結構な数を買って。

うちの母も買ってました。

母:あれがすごい人気で、しかも気が利いてるのが軽いっていう(笑)。そこにフジロックのチラシも置いてあったので、それもお土産として入れて配りました。全貌はこんな感じだからって(笑)。ああ、あと! 子どもたちの新幹線の後ろの席がスカパラのメンバーだったんですよ。いつも聴いている息子はまったく気づかず。東京駅に着いてから「後ろにスカパラいたんだよ」って言ったら「うっそー!」って(笑)。興奮でした。

そういうこともあるんですね。

母:ちょうどその1ヶ月位前に鹿児島でスカパラのライブにも行っていたので、びっくりしました。東京から新大阪まではお弁当と漫画で繋いで、着いたら妹の旦那さんが車で迎えに来てくれていたので、車の楽ちんさを「普通ってなんて心地いいんだろう」って。日常の些細なことに喜びを感じましたね。その後行ったファミレスでは子どもたちが暴れたり、無駄に立ったりもしないで、ドリンクバーでも飲むものを取るだけという普通の行為ができて。動きがシンプルになっていくんだなって思いました。動いただけわかるっていうか。いっぱい動いたからわかったんだなって。

10-2 【こどもフジロック】子連れフジロッカーズ・インタビューVol.5 〜生重家・鹿児島から苗場へ〜

11-1 【こどもフジロック】子連れフジロッカーズ・インタビューVol.5 〜生重家・鹿児島から苗場へ〜