【開催直前特集】田中宗一郎が語る、フジロックの意義とその歴史(前編)

2015.07.13 SPECIAL

<フジロック>と同じ97年に創刊され、2011年にその終止符が打たれるまでは国内外を問わずポップ・ミュージックのファンの間では絶大な人気を誇った音楽雑誌『スヌーザー』の名物編集長、タナソーこと、田中宗一郎が登場! <フジロック>に並々ならぬ思いがある彼が、<フジロック>を初年度から振り返りつつ、音楽シーンにおける“フジロックの意義”を語ってくれました。今回は、<フジロック>の歴史を振り返る「前編」です!

Interview:田中宗一郎(ザ・サイン・マガジン・ドットコム

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タナソーが語る<フジロック>の歴史

まずは初年度、97年の<フジロック>からお話を伺っていきたいのですが、その頃って何をされていました?

『スヌーザー』を始めた年ですね。スヌーザー創刊がその年の5月。ただちょうど<フジロック>開催日に海外取材が入ってしまっていたので、初年度の<フジ>は行けなかったんですよ。ただ初年度の<フジロック>って、とある音楽雑誌では“日本に<レディング>がやってくる”って風にプロモーションされていたりもして、なんだ、<レディング>かよ、下らない、なんて思っていたところもありました。当時はいくつかの海外フェスを経験した直後で、なかでも<グラストンベリー>に心酔していたところがあったので。

では、<フジロック>には98年から?

98年からですね。ただそれこそ2日目が中止になった97年の<フジロック>直後に主催者のトップ日高さん(株式会社SMASH 代表取締役社長)にすぐに会いに行ったと記憶してます。で、日高さんと話して、<フジ>が目指していたのものが<グラストンベリー>だってことが確認出来て、そういういまだ未知のアイデアが日本の風土の中で理解され、共有されることが先決だと思って、その直後からスヌーザーでも「フジロックへの道」っていう連載記事を始めたんですね。<レディング>みたいな単なる屋外の大型音楽イベントじゃないんだってことを伝えないといけないという、ちょっとした使命感もあった気がします。その時点だと、まだ初年度の天神山で今年(98年)も<フジロック>をやるっていう可能性も残っていたんで、スタッフに天神山でキャンプさせて、一晩過ごして来い、とか、むちゃくちゃな記事を作ったりもしてました(笑)。

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確か当時日高さんは、98年の豊洲は緊急避難的な開催だと言っていました。結果的には日本の都市型ロックフェスの雛形を示す形となりましたが。

ただあの時点では、特にリスナー、オーディエンスには、日高さんが描いていた理想がなかなかイメージ出来てなかったようにも思えます。あるいは、ああいう何万人という人が集まった時にオーディエンスはどういう風にステージに向かえば良いか、経験している人も日本にはまだ少なかった。“モッシュ”とか“クラウド・サーフィン”がようやく文化として伝わってきた時期でした。でもそこにもマナーややり方があるんだってことも理解されていなかった。だから、様々な問題もあったと思うんですけど、初めてあの場所に足を踏み入れた人達にとっては何よりも新しい光景だったし、エキサイティングだったと思います。

そして99年には今の開催地、苗場に移りました。日高さんの目指していた<フジロック>が始まる年だったと思うんですが、99年はどのように観ていましたか?

いやあ、本当に良い思い出しかないですね(笑)。やっぱりこの年のラインナップ。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがグリーン・ステージ、ホワイト・ステージでアンダーワールド、それもすごく象徴的だった。それまでロックはロック、テクノはテクノ、別物に思われていたものが同じ空間で共有されたのって99年の<フジロック>が初めてだと思うんですよ。英国のプロペラへッズのステージに東海岸のニュースクールの代表格であるジャングル・ブラザースの二人が飛び入りしたりね。今の若い人から見たら、ごく当たり前のことかもしれない。でも、それ以前にはそんなことは起こらないと誰もが思っていた。それが現実になった年。それだけじゃなく、レイジにしろ、アンダーワールドにしろ、ブラーにしろ、ZZトップにしろ、単純にバンドのショーケースとして、ひとつ観て、次はこれを観てってことじゃなく、1日なり3日間なり、会場を歩き回って、友達同士で会話したり、初めて出会う人同士が1つのステージの前でひとつになったりっていう、これまでにはなかった体験が共有されて、本当にいろんな素敵な光景が生まれた年だったと思います。

今の日本のフェスの原風景がそこにあったと。

そうですね。もちろん、それぞれのアクトにもすごく思い出はありますけど、この99年っていうのは、本当に何かが始まったんだ、これまでになかった何かが始まって、これから発展していく、音楽シーン全体が変わっていく、オーディエンスが変わっていく、そんな機運に満ちあふれていた。もしかしたら、ここで起きたことが何かしら社会に影響を与えていく、自由という感覚とか、自主性みたいな考え方が、それぞれの日常だったり、社会全体に波及していくかもしれない、そんな楽しい国になっていくかもしれないっていう始まりの予感でいっぱいの年だったような気がします。

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この年にフィールド・オブ・ヘブンや、(今のルーキー・ア・ゴーゴーにつながる)新人ステージ(リーバイス・ニューステージ)が始まって、当時、ここにはくるりやワイノといった新しい世代もバンドも出演していました。

98年、99年って、本当の意味で日本のロックが始まった年なんですよ。彼らだけでなく、同じ99年に<フジ>に影響されて始まった北海道の<ライジング・サン・フェスティバル>の初年度のラインナップも壮観だった。〈98年の世代〉って呼んでるんですけど、宇多田ヒカル、aiko、椎名林檎や、くるり、ナンバーガール、スーパーカー筆頭にいくつものアクトが発見された年。ミッシェル・ガン・エレファントのブレイクも同時期です。90年代前半にタワーレコードやHMV、大手CDショップが日本各地にできて、新しいものがすぐに聴ける、しかもレコードのときだと手に入らなかった20年前、30年前のカタログが全部聴けるようになって、日本のアーティストもリスナーも同じようにありとあらゆる音楽を一気に咀嚼し始めた時代なんですね。<フジロック>はまさしくそうした新旧の音楽、あるいは、いろんな文化の多様性の受け皿になってた。
あと、フィールド・オブ・ヘブン。90年代後半って、日本でヒッピー的な思想や、オーガニック、スピリチャルな考え方がもっとも元気だった時代だと思うんです。あるいは、その流れで、日本人が欧米ではなく、日本固有のルーツに繋がろうとしたりとか。フィールド・オブ・ヘブンって、そうした時代のムードとクロスオーバーしてるんですよね。パンク世代である自分もレイヴ・カルチャーとの出会いを経て、そういう空気に理解を示すようになった時期でもあって。だから、フジが先だったのか、時代の気分が先だったのかは難しいところなんだけど、やっぱりあの場所もこれまで日本にはなかった景色やムードが広がっていたし、それが何かしらのヒントとして機能していたのは確かだと思います。

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そして2000年。この年はBLANKEY JET CITYとTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTという日本のアーティストがそれぞれグリーン・ステージのヘッドライナーを務めました。

記憶が不確かなんですけど、当時、海外のアクトが中心の<フジ>のヘッドライナーに日本のバンドが起用されたことに対して、バックラッシュもありましたよね? でも俺からすると、むしろ<フジ>って言う最高の目利きが選んだ、世界中のバンドばかりが集まる場所で、日本人がトリをとるのって最高に素敵じゃないか、と思ってた。同時に、ブランキーとミッシェルじゃ、ちょっと音楽的に近いよなあって思いもありつつ。ただ当時感じたのは、<フジ>はそれまでの常識を覆すような英断的なスロットを作ってくれるイベントだってことです。人気があるから、だけではなく、主催者側のレコメンドを観客にぶつけてくる。だからこそ、観客はそれを驚きながら受け止めようとしたし、世界中のバンドが<フジ>に出たい! と思うようになった。この年の二組のヘッドライナーの起用はそうしたことを象徴していたと思います。あと2000年は、苗場プリンスからの道とキャンプサイトの出口が交錯するところに火が使える場所があるじゃないですか? そこで雨の中、ひたすら肉を焼いてましたね(笑)。まだ当時はアウトドア組の受け皿としてのフェスという認知は希薄だったので、ひたすら率先してそれを実践しようとしてた。ミッシェルもブランキーも観ずに肉を焼いてて、ミッシェルのメンバーに本気で呆れられた記憶があります(笑)。<フジロック>って場所が音楽が軸にあるのは確かだけど、それだけの場所ではないんだっていうのを示したかったんでしょうね。アホらしい話なんですけど。

(笑)。他にこの年に印象的だったことはありますか?

アクトに話を戻すと、この年は、THA BLUE HERBがホワイト・ステージに出演していて、電気グルーヴがホワイト・ステージのヘッドライナー。海外とか国内とかの区分けは関係なく、優れたアクトというのは世界を舞台にしてやれるんだ、と。今だと忘れられがちな、そういう希望にも似たものをアクトにも観客にも与えた年なんですね、やっぱり。おそらくラインナップが発表された時は議論もあったはず。でも、実際に電気グルーヴのパフォーマンスを見たら、前年のアンダーワールドと比べて、どんな優劣があるんだ? って、その場にいた誰もが感じたと思うんです。今、本当にそういうことが起こりつつあるだっていう実感が間違いなくあった。洋と邦の区分けなんて、なんて馬鹿らしいんだって。この年の<フジ>はそれを示してくれた。フェスティバルってメディアなんですよ。しかも雑誌だと、何かを納得させるにはいろんな工夫がいる。でも、<フジ>というメディアはその場にいるだけで、実感を通して、いろんな事実を伝えることが出来るんです。

その次の年2001年が、オアシス、ニール・ヤング、エミネムがヘッドライナーを務めています。

この年は、それぞれのステージのカラーというよりは、金曜、土曜、日曜それぞれの日のカラーをより意識的に<フジ>が提示しようとした、そんな年だと思います。UK流れのインディ・ラインナップと、アメリカのオルタナテイブ&ヒップホップ、さらにモダンなもの、そして年長者でも若者でも楽しめる。すごく横断的なラインナップだった。もちろん、そういう年だったからこそ、長所も短所もあったとは思います。エミネムとか、まだ早すぎたんですよね。一昨年のケンドリック・ラマーとかもまさにそうですけど。でも、再始動後初のニュー・オーダーが最高だった。演奏は最悪だったけど(笑)。俺、ニュー・オーダーの初来日公演で、当時、思わず、金返せ! って叫んだ大学生だったので、事前に『スヌーザー』でも「とにかく演奏には期待するな! 観るべきはそこじゃない!」ってキャンペーンを張ったのを覚えてます。結果、あんな下手くそなバンドなのに最高の景色が見れた。<フジ>はそういう奇跡が起こる場所でもある。

それ以降はいかがですか?

2002年、2003年辺りは、ある意味、「潤沢の年」だった気がします。少しずつ<フジロック>がどういう場所なんだというのが伝わってきた時期で。実は99年の成功の裏で、それまでの主催者や俺たち雑誌も含めた観客に対するエデュケーションがちょっとキツ過ぎたのかもなって感じたこともあったんです。「絶対にゴミは捨てるな!」とかね。もちろん、そのおかげで一時期の<フジ>は世界中でもっともゴミが落ちていないフェスという称号にも授かった。でも今でも覚えているんですけど、99年かな? 俺、移動中に人とぶつかったか何かで不注意で吸ってるタバコを落としちゃったんですよ。そしたら、後ろにいた女性が「ありえない!」みたいな感じで、すっごいバッドなわけです。勿論、悪いのは俺なんだけど。ただあの頃は<フジ>全体にちょっと神経症的なくらい「こういうマナーで望むんだ」という意識でガチガチになってた。だから、「もう少し緩くてもいいんだけど」って思いもあったんですね。でも2003年ぐらいには、マナーに対する意識もカジュアルに共有されていて、そこまでガチガチじゃないムードが出来上がってきた。だから、この頃はメディア人としての自分も、<フジ>の思想や考え方を広めることにも一段落したって感じてたんじゃないかな。それまでは「<フジ>でインタビュー取材とかしちゃダメ。スタッフ全員、とにかく遊べ!」とか言ってたのが、フェス号とかも作り出したりとか。だから、<フジロック>の思想がすごくカジュアルな形で共有されて、そうした部分とラインナップがハーモニーを奏でていた時期なんじゃないかな。もちろん、いろんな挑戦もあった。改めてキャリア組を再定義してみせるとか。そういったことも含めて、すべてにバランスが取れてた時期だと思います。

これくらいの時期の<フジロック>で思い出に残っているライブとかはありますか?

2003年のホワイト・ステージでのコーネリアスかな。当時ってテクノとサイケデリアが合体して、更新された時期だと思うんですよ。音楽的にも視覚効果としても。やっぱり視覚的な演出としてはテクノの方が面白かったじゃないですか。この年のコーネリアスはその理想型を見せてくれた。演奏とビジュアルが完全にシンクロしてて、しかも、曲によってはビジュアルも白と黒だけ。要するに白しか無い。白と黒のコントラストだけで照明の効果としてもビジュアルの効果としても圧倒的だった。世界的に見てもすべてにおいて完全にNo.1だったと思う。たぶん、テクノのレイヴとかクラブの影響もあって、この時期は見せ方としてもすごく工夫を凝らしたバンドが沢山あったんですね。バンドも2001年にストロークスが発見されて、ホワイト・ストライプス、ヴァインズ辺りが大挙して出てきた。すごくいい時代。アメリカやヨーロッパ、南半球からも新しいバンドがたくさん出てきた時期なので、<フジ>はその最適な受け皿だった。バンドのセレクションも難しくなかったんじゃないかな。

<フジロック>が音楽シーンの中心になったと。

そうですね。まったく大げさな話ではなく。特にザ・ミュージックなんかが象徴的だけど、<フジロック>を軸にして、オーディエンス、バンド、そしてシーンが成長していく、自分たちの好きなバンドが大きくなって行くのを目撃する、<フジロック>というのは、俺たちのバンドに最高のステージを用意してくれるんだ、そういう象徴的な場所になっていたんだと思います。

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<フジロック>初期の歴史と意義を熱く語ってくれた田中宗一郎氏。後編ではここ10年〜現在の<フジロック>までを独自の視点で語り尽くしてくれたので、乞うご期待!

interview by Satoshi Toyomane/Shotaro Tsuda
text by Shotaro Tsuda
photo by Daiki Hayashi

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INFORMATION

FUJI ROCK FESTIVAL’19

2019.07.26(金)、27(土)、28(日)
新潟県 湯沢町 苗場スキー場
OPEN 09:00/START 11:00/CLOSE 23:00(予定)

公式サイト
INFORMATION

FUJI ROCK FESTIVAL OFFICIAL SHOP【岩盤/GAN-BAN】

住所:〒170-0013 東京都豊島区東池袋1-50-35 池袋 P’PARCO B1
営業時間:11:00 – 21:00
定休日:不定休(PARCO休館日に準ずる)
TEL/FAX:03-5391-8311

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