各界のキーパーソンたちに<フジロック>の魅力を語り尽くしてもらうこの企画。第3回目の大宮エリーさんに続いて登場するのは、大ヒットした映画&ドラマ『モテキ』や『恋の渦』など話題作を筆頭に、多彩なジャンルで活躍する映画監督/ドラマディレクターの大根仁氏! 『モテキ』で描かれたリアルなロックフェス・シーンに心動かされたファンも多いことだろう。そう、“この人は信頼できる”と。大根氏は、学生時代からパンクなどライブに通いまくっていたロック好きとして知られており、<フジロック>のあらゆる楽しみ方を体験された根っからのフジロッカーだ。ご自身が経験した、まるでドラマのワンシーンのような大根仁流“フジロック物語”をお届けしよう
Interview:大根仁
━━ブログでも熱く書かれてましたが、<フジロック>への参加は1999年でしたっけ?
1999年ですね。苗場の初回ですね。
━━行こうとしたきっかけは?
ちょうど1999年は30歳になった頃で、仕事が忙しい時期だったんですよ。もともとは邦楽洋楽問わず節操のない音楽好きなので、ライブハウスもクラブも普通にいっぱい行ってました。でも20代後半から仕事が忙しくてあまり行けなくなったんです。今から思えば精神的にもあまりよくなかった時期で。そんななか、会場を苗場に移しての1999年の<フジロック>初日に、週末の仕事がキャンセルになってぽっかり空いたんですよ。朝、ラジオで今日<フジロック>があることを知ったんですね。10時くらいに思い立ったように高校の友達に連絡して、昼には出発してました。
━━そこからまた音楽熱が?
そうですね。1999年に突発的に行ったというのがすごく楽しくて、純粋に音楽を楽しんでいた頃の気持ちを思い出しました。当時は苗場初回ということもあって、何にも知らずに行ったんです。チケットもとってないし、どこでやってるかもよくわからないみたいな(苦笑)。とりあえず越後湯沢で降りたら「やってんだろ?」って(笑)。そうしたら越後湯沢では当然やってなくて「あ、ここじゃねぇんだ!」って(笑)。で、山登って「え、こんなところで?」みたいな。だんだん見えてくるじゃないですか? テントがあって人がいっぱいいて。それで「何これヤバい!」みたいにテンションあがって。
━━あのワクワク感たまらないですよね。
当日券を買って入って。でもフェスを舐めてました(苦笑)。Tシャツと短パンだし、何も持ってきてないんですよ。青いビニールシートとうまい棒ぐらいで(苦笑)。「別に寒くねーべ!」みたいな感じで。でも、その年はたまたまラッキーで天気が良かったんです。それでステージに着いたらちょうどハイスタ(Hi-STANDARD)でさ、もう「ヤバい!」という感じで。
━━強烈な<フジロック>体験を前知識なく味わったワケですね。苗場という場の良さというのもありますよね。
いい年に初体験したなと思いますね。1997年の台風とか伝説ですもんね……。
━━<フジロック>初体験は会場をどんな風にまわりましたか?
ハイスタ観て、まだ全体の会場の状況がわからないからうろうろして、でも超楽しくって。ヘッドライナーが、グリーン(・ステージ)がレイジ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)で、ホワイト(・ステージ)がアンダーワールドだったんですよ。「どっちみりゃいいんだ!」みたいな感じでしたね。結局レイジを見たんですが、今思えばアンダーワールドも見たかったなぁ。大地って本当に揺れるんだと思いましたね。勢いで夜通し朝まで遊んで(笑)。
━━その後何回くらい<フジロック>には行かれてるんですか?
そこから毎年行ってますね。あ、一度2004年だけ仕事で行けなかったんですけど、それ以外は皆勤です。
━━初年度の衝撃がすごかったんですね。過去<フジロック>で見た中で一番思い出に残っている年はいつですか?
やっぱ初年度が一番残ってますね。ケミカル(ケミカル・ブラザーズ)をねっころがりながら聴いていたら、流れ星がびゅんびゅん飛んでて「何これ!」みたいな(笑)。
━━それはすごいっすね。自分の作品への影響もありますか?
一応こういう仕事をしてるんでね「<フジロック>の良さってなんだろう?」ということを考えたことはあるんですよ。やっぱり圧倒的に出演者より、俺たちのほうが楽しいという。いわゆるオーディエンスが主役ということですよね。それは古くはストーン・ローゼズが「90年代の主役はオーディエンスなんだよ!」というような名言もありますけど、それをはじめて自分で体験できたんですね。オーディエンスのほうが上とは言わないんですけど、パフォーマーとオーディエンスとそれをつくるオーガナイズ側の関係性が非常に対等なんですよね。
━━今の時代にものづくりを考える上で、その関係性のバランスってとても大事だと思います。それが<フジロック>は早かったということでしょうか?
ですよね。あと、知らないけど思いがけず見てしまうという体験はやっぱりフェスならではですよね。1年目が楽しかったので、2年目は友達も増やして前夜祭から行ったんですよ。そして「フェスはテントじゃなきゃだめだ!」みたいな感じでがっつり行ったらけっこう大雨で(苦笑)。大人だから金かけて超豪邸のテントを作ったりしたんですけどそれでもキツくて(笑)。今はもう屋外に温泉とかあるじゃないですか? でも当時はまだなくて。ずっと裸で行列に並んで水シャワーですからね。まぁ、行ったことある人なら分かると思うんですけど、そういうのも楽しかったりするんですよね。
━━それこそ<フジロック>は、苗場食堂で御飯食べたり、ところ天国で川遊びしたり、オレンジコートまで遠征したり、ドラゴンドラのロープウェイで山頂行ってみたり、いろんな楽しみ方ができると思うんですけど。大根さんならではの楽しみ方は見つかりました?
俺はですね、1999年からだから15年くらい行ってるワケでしょ? で、10年目くらいからなんかちょっと自分の中で惰性というか行かなきゃいけないみたいな、変な義務感モードに入ってて。「本当に俺楽しんでいるのかな?」と自問自答したことがあったんですよ。そのへんから、俺が楽しむのはおしまいという風に考えるようになりました。
━━ほう、その心は?
もちろん行ったら行ったで最高に楽しいんですよ。でも、今は行ったことのない人を楽しませようという新たなモードに入りまして(笑)。
━━それは良い目的を見つけましたね(笑)。
それまで、ずっと男友達と行ってたんですよ。でも、行けば羨ましいのはやっぱりフェスカップルじゃないですか? でもいまさらそんな体験もできないし(笑)。それで思いついたのは、<フジロック>に行ったことのない女子を連れて行って100%のアテンドをするというのをここ3、4年繰り返してますね(笑)。
━━それこそ『モテキ』な世界観ですね〜。作品からの逆影響じゃないですか?
あるかもしれないですね(苦笑)。車で家まで迎えに行って、朝もグリーン(・ステージ)のここが一番見やすいんだよ、って。<フジロック>のことは隅から隅までわかっているので完璧ですよ。
━━女子ならば連れて行かれたいですね(笑)。好きなフェス御飯とかあったりしますか?
苗場食堂の俺の中でのフジロック丼というのがあって、とろろご飯にもち豚の串からはずしたやつを全部のっけて、納豆のせておしんこも入れて。そうするともうビールと丼だけでOKなんですよ。女の子にもこれが一番おいしいんだとすすめてます(笑)。
━━本当にあらたな楽しみ方、目的が見つかった感じですね(笑)。それも<フジロック>という場があってこそ、ですもんね。では最後に、<フジロック>に参加したことで自身の活動へのフィードバックなんてありますか?
いろんな音楽が一本の作品の中で流れるというのは、日本の映画やドラマでは意外と少ないんですよ。それをやれたのは<フジロック>での音楽が鳴り響いているフェス体験のおかげかな。ていうか、<フジロック>体験だと書けないこともいっぱいあるけどなぁ(苦笑)。
interview&text by fukuryu(music concierge)
photo by Chika Takami
大根仁 (hitoshi one)
テレビ演出家・映像ディレクター
1968年生まれ。ADとしてキャリアをスタートさせ、テレビ演出家・映像ディレクターとして、数々の傑作ドラマ、ミュージックビデオを演出。『劇団演技者。』『週刊真木よう子』『湯けむりスナイパー』など深夜ドラマでその才能をいかんなく発揮し、話題作を連発。業界内外から高い評価を受ける。テレビドラマや舞台の演出を手掛ける傍ら、ラジオパーソナリティ、コラム執筆、イベント主催など幅広く活躍する先鋭的なクリエイター。脚本・演出を手掛けたドラマ『モテキ』(テレビ東京)が2010年7月より放送開始し大ブレイク。待望の映画監督デビューを映画『モテキ』(東宝)にて飾り、映画界に参戦。さらに2013年の『恋の渦』も大ヒットを記録した。最新作「バクマン。」は2015年10月に公開。