「時代的にも、バンドの歴史的にも、<フジロック>と共に歩んできたような感覚がある」。

そんな風に語ってくれたのが、くるりの岸田繁さんと佐藤征史さん。様々なゲストに<フジロック>の魅力/思い出/体験談について語ってもらう「TALKING ABOUT FUJI ROCK」では、今回、お二人にご登場いただきました。97年と98年にはお客さんとして、そして99年に苗場で開催されてからはアーティストとして数々のステージに立ってきた彼らにとっての<フジロック>とは? バンドとフェスの特別な関係について、たっぷり語ってもらいました。

Interview:くるり(岸田 繁、佐藤 征史)

岸田「ライヴ前にゲロ吐いたのはその時(フジロック初出場の時)だけ」

――今回<フジロック>の出演が決まった第一印象は?

岸田:「やった~! フジロックや~」って(笑)。

佐藤:6年振りなんですよ。久しぶりで嬉しいですね。

――くるりと<フジロック>の関係は長いんですよね。97年、天神山スキー場で開催された第一回の<フジロック>にはお客さんとして参加していたそうですが。

岸田:あれは楽しいひとときでしたね。僕らはまだ学生バンドで、同級生や軽音サークルの後輩たちとみんなで、京都から鈍行を乗り継いで行って。

佐藤:山梨に後輩の実家があって、前日はその家に10何人で押しかけて泊まらせてもらったんですよ。

――あの時は台風でしたが、どうでした?

岸田:大変やった(笑)。あの頃はフェスに行くのがどういうことなのかわからなかったし、軽装の人も多かったし。

佐藤:冷えて寒くて、人込みの中で暖をとってましたね。

岸田:フー・ファイターズとレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを観れて、満足して「もう諦めよう」ってなったんですよ。後輩に「レッチリ観たいのはわかるけど、ヤバいから落ち着こう。河口湖の駅に行くバスに乗れなくなる」って言って。その日は帰ってスーパー銭湯に泊まって、それで翌日朝に会場に戻ったら中止って知って。

佐藤:ショックでしたね。

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――“東京”の《雨に降られて僕等は風邪を引きました》という歌詞はその時の実体験だという話ですが。

岸田:その後に僕らは東京でレコーディングがあったんですけど、いよいよ所持金がヤバくなって、公園で寝たりしてたんで。そういう時に書いたものやったんで、おそらくそういうことじゃないですかね。

佐藤:当時のドラマーの森が体調が悪くてベンチで寝てたりしましたからね。

――98年には東京の豊洲で開催されていますが、この時にも行きましたか?

岸田:行きましたねえ。

佐藤:まだデビューしてなかったんで、夜行で行きました(笑)。

岸田:イギー・ポップが観たくて一番前まで行ったんですよ。あの時って、パンクとかハードコアな人たちのライヴで人の上に乗るようになってたじゃないですか。俺もやってみようと、前の方のやんちゃな兄ちゃんたちの真似したら、黒人のセキュリティにひょいとつまみ出されて(笑)。で、イギー・ポップに戻れへんくて、ビョークを観たっていう。あとエルビス・コステロとベン・フォールズが素晴らしかった印象があります。

佐藤:ベックも出てましたよね。ベックを観てる時に、外国から来た5人くらいのお客さんのグループが、左手にテキーラ、右手にオレンジジュースを持って「ピーポーピーポー!」って言いながら歩いてるんですよ(笑)。「何してんねんこいつら!?」って思ったんですけど、ただ単に前に行きたいからサイレンの声真似してるだけで。「ああ、フェスってすごいなあ」って思ったのを覚えてます(笑)。

――くるりとして<フジロック>の初ステージは1999年のリーバイスニューステージでした。今のレッド・マーキーの場所ですね。

佐藤:苗場に行った一年目ですよね。

岸田:いろんなフェスに出させてもらっていたんですけど、まさか<フジロック>に出られるとは思っていなくて。僕らは好き勝手な活動はしていましたけど、事務所とかレコード会社の人に「フェスに出るのは大きなチャンスなんだから、こんな曲をやれ、MCはちゃんとしろ」とか言われていたんです。でも、僕らはまったく言うことを聞かずに、全部反発していて。ただ、<フジロック>のときは、レコード会社のボスみたいな人が「<フジロック>だけはやりたいことをやっていいよ」って言ってくれたんですよね。それで「よし、すごく遅いテンポでやろう」って思いついて。45分くらいの持ち時間で4曲、ジャムセッション的なことをやったんですよ。“東京”とか“尼崎の魚”とか、歌えへんくらい遅いテンポでやったんです。

――それは相当ですね。

岸田:「俺ら<フジロック>に出てんぞ」っていう気負いもありましたし、それなりに緊張もしてたんでしょうね。ライヴ前にゲロ吐いたんですよ。ライヴ前にゲロ吐いたのはその時だけです。で、グシャグシャでしたけど楽しくやって終わった記憶があって。どうやらその時のライヴを山本精一さんが観ていたそうなんですよ。だいぶ経ってから、たまたま山本精一さんと久しぶりに<フジロック>で会ったときに「くるりってポップなバンドやったんやね」って言われました(笑)。

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