特殊なフジロッカー浅野忠信が登場!俳優の中ではフジロック最多出演?!

frf-asano-003 特殊なフジロッカー浅野忠信が登場!俳優の中ではフジロック最多出演?!

一睡もできずにフラフラな状態で初出演

アーティストとしての浅野さんの<フジロック>話も聞かせて下さい! まず99年のSAFARIでの初出演の話を教えていただけますか?

浅野 新人ステージじゃないけど今でいうルーキー・ア・ゴーゴーみたいなコンセプトの、リーバイス・ニューステージっていうステージが当時あって、くるりさんとか当時わりとフレッシュな人たちが出演していて、そこにSAFARIで出演しました。

アーティストとして初めて<フジロック>のステージに立った時のことは覚えていますか?

浅野 前日にもうひとつのバンドPEACE PILLのレコーディングがあって、終わってそのまま<フジロック>でした。当時は「レコーディングが終わって<フジロック>なんてかなりロックミュージシャンじゃん!」とか最高の気分でしたね(笑)。SAFARIのメンバーが実家のバンを出して迎えに来てくれて、僕はなぜか「ウォーターサーバー用の水のボトルを持って行くわ! <フジロック>は水がなかったら危ないから!」って事務所にある18Lのやつをまるごと持っていったんです。そうしたら向かっている途中に車が突然オーバーヒートして動かなくなったんですよ……煙とか出はじめたりしたんです(笑)。「ヤバい!このままじゃ<フジロック>に出れない!」「どうするよ……」とかみんな言いはじめちゃって。だけどそこで気付いたんですよ……「ここで水だろ(笑)!」って。それでエンジンルームを開けて、18Lのウォーターサーバーの水を煙が出ているところにドバドバかけたら車が動いたんです(笑)。みんなから「忠信ありがとう! この水がなかったら<フジロック>行けなかったな!」って感謝されて。まあそんなこんなで、朝にはなんとか会場に着いたけど……一睡もできずにフラフラな状態で初出演しましたね。

ステージ上での話をうかがおうと思ったんですけど……(笑)。でもその話は衝撃的ですね!

浅野 疲れ切って見えたかもしれないですけど、僕たちにとってはどうやってステージまでたどり着いたか、が大切でした。最初のBOREDOMSのコンセプトがそうだったと思います。聞いた話ですがEYEさんはBOREDOMSをはじめた頃に、フルマラソンやるくらいの感覚で全力で走ってステージに立つ。だから疲れ切ってやるのがボアダムスだった、みたいな。それってかなりロックじゃん! って衝撃を受けて、そのマインドを受け継いでいきたいなと思いました。

05年にはSAFARIはホワイト・ステージに出演しましたが、日本を代表する俳優がホワイト・ステージに出演したことは前代未聞のことだと思います。ホワイトに出演した時のことをぜひ教えてください!

浅野 ここでも、ブライアンは欠かせないわけですよ。急にブライアンから「ホワイトに出演できるかも!」って連絡が来たんです。なんで僕たちがホワイトに出演できるのか聞いたら、アメリカのバンドが急遽出演できなくなったみたいで、そこでブライアンは「SAFARIがいますよ!」って言ったらしいんですよね(笑)。

そんな映画みたいなことあるんですね(笑)!

浅野 それで開催のほぼ前日にブライアンから「お前らのスケジュール空いてるか!」って連絡が来て、もう勢いで「空いているに決まってるだろう!!」って(笑)。出演もできて、しかもダイナソー・ジュニアをバックステージで見られるなんて最高ですよ。プリンスホテルの受付でダイナソーが着くのを張っていて、J・マスシスが着いた時にサイン貰いました。「俺たちもホワイト・ステージに出るんだよ! 見に来きてくれよ!」って言ったら……バックステージに見に来てくれたんですよ(笑)! これはなかなかないですよ……伝説つくりました。

またしてもステージの話が……(笑)。けど、大事なのはどうたどり着いたか、ですよね(笑)。それでも日本を代表する俳優さんがホワイト・ステージに出演するなんて浅野さん以外いないですよ。

浅野 そこは僕が必要とされる重要な要素かなと(笑)。日本映画界で独自の道を切り開いてきた要素があったからかもしれません。

frf-asano-004 特殊なフジロッカー浅野忠信が登場!俳優の中ではフジロック最多出演?!

俳優の中では間違いなく一番出演していると思います(笑)

浅野さんはヒッピーの子供に生まれたというエピソードを聞いたことがありますが、そのような個性あふれる家族からの影響は音楽や俳優活動にも生きているものですか?

浅野 ヒッピーというか、まともな家庭ではなかったです。特に母親はロックが好きで小さい頃から<ウッドストック>のビデオとか家で見せてくれたりして。そういう意味では英才教育ですよね。小さい頃からロックを聴かせてくれたし、見せてくれた。生き方も含めて母親はぶっ飛んでいました。父親や兄貴からもいろいろな音楽を教えてもらって。彼らが見せてくれたものは自分では吸収するつもりはなくても、まだ子供だったのでそれが普通だと思って自然に吸収されていったんです。その後に出会った友達たちからも面白いカルチャーをいろいろ教えてもらいました。実はその引き出ししか僕にはないんです。音楽でも俳優活動にしても、今やっていることもすべてその延長線上でしかないです。

俳優としても活躍なされて、アーティストとしても活躍して<フジロック>ではリーバイス・ニューステージ、ホワイト・ステージ、DJとしてオレンジ・コートのオールナイト・フジ、デイ・ドリーミング……。

浅野 JOUJOUKAでフィールド・オブ・ヘブンもありますよ!

もしかしたら誰よりも出演なさっているのでは……!?

浅野 俳優の中では間違いなく一番出演していると思います(笑)。

俳優としてもSAFARIやDJとしても、すでにそれぞれの活動がとても充実していると感じますが、なぜ新しく2013年というタイミングでSODA!をはじめようと思ったんですか?

浅野 SODA!は実はもう少し前からはじまっていて、具体的にアルバムを出したのが2013年だったんです。SAFARI、PEACE PILL、他の音楽活動……今までの集大成のひとつがSODA!です。この道のりがなかったらSODA!は生まれていなかったです。ブライアンとSAFARIで一緒にバンドをやり続けてきて、色々なことを教えてもらいましたし。すべての活動があったからで、僕からすればこれは自然な流れでした。

SODA!は今までインプットしたことをアウトプットするプロジェクトということでしょうか?

浅野 みんなが想像しているような“普通”の道のりで、僕はここまでたどり着いたわけじゃないと思うんです。僕たちは世間から見たら変わっている人間かもしれないです。だけどそういう人間たちから生まれたのがSODA!なので、面白い道のりからたどり着いた役者のバンド、SODA!と捉えてもいいですし、いろいろな音楽家を見てきて、いいところを吸収してたどり着いたロックの人がやっているバンドが、SODA!と捉えてもいいです。SAFARIの話もそうだけど、SODA!もたどり着くまでが大事な部分なんです。