唯一無二の感性から生まれる演技力が高く評価され、1990年の映画デビューからこれまでにハリウッド映画も含み100本近くの映画に出演。国内外問わず数々の映画賞で受賞歴を持つなど、名実ともに日本を代表する俳優、浅野忠信さん。

そんな浅野さんは幼少期から、音楽好きで個性的な家族の元で無意識にアーティストとしての英才教育を受け、その影響により中学時代からバンドをはじめ、唯一無二の感性でアーティストとしてもいかんなく実力を発揮。なんと、<フジロック>では俳優としては前代未聞、ホワイト・ステージへも出演を果たしている! 他にも数々のステージに“アーティスト”として出演し、プライベートでは初年度の<フジロック>から参加。その後も毎年のように苗場に足を運ぶなど、アーティスト・オーディエンスとしての両側面をもつ特殊なフジロッカーである浅野さん。

今回のTALKING ABOUT FUJI ROCKでは、浅野さんならではの<フジロック>トーク、そして6月24日(水)に新作をリリースしたばかりの浅野さんがボーカルを務める4人組バンド「SODA!」について、お話を聞かせてもらいました。

Interview:浅野忠信

frf-asano-002 特殊なフジロッカー浅野忠信が登場!俳優の中ではフジロック最多出演?!

<フジロック>でしか会えない友達に会えるから毎年行きたくてしょうがない

━━過去にはアーティストとしても何度も<フジロック>に出演されていますが、はじめて<フジロック>に参加したのは何回目からなのでしょうか?

浅野 富士天神山で開催された第一回、嵐の<フジロック>からです。ブライアン・バートンルイス(以下、ブライアン)とずっと一緒にSAFARIというバンドをやっていて、ブライアンは初開催の<フジロック>から通訳関係や、それ以外にも<フジロック>の仕事をやっていたので、ブライアンに誘われて行きました。

━━初年度からだったんですね! その時のことは覚えていますか?

浅野 初日に行った時は「やっと日本でもウッドストックのようなものがはじまるんだ!」と感じましたね。だけど天気が悪いなって思っていたらやっぱり雨が降ってきて、どんどん大雨になっていって。大体の人はこういう文化を知らないわけで、カッパもなければビーチサンダルだったり、とても野外フェスとは思えないような恰好で来ていましたね。夜ブライアンたちがいるホテルの部屋に寝かせてもらいに行って、「これどうなるの?」とかそんな話をしていました。次の日起きたら天気はすごくよくて。「今日こそフェス日和じゃん!」って思ったら中止のアナウンスがあって。その頃は全然考えてなかったけど、あの規模で中止ってすごいですよね。

━━2回目も行ったんですか?

浅野 豊洲は行ってないです。それから3回目の開催が苗場って聞いた時は楽しそうだったし行きました。それからは行ける年は必ず行っていますね。

━━<フジロック>に行ったらこれは欠かせない! ということはありますか?

浅野 パターンはあります。ホテルについてチェックインしたら、とりあえず一回出て、ふらっと歩いてタイムテーブルが置いてある場所を探して、取ってきたら部屋に帰って、友達に「来たぜ! お前どこにいるんだよ?」って連絡します。

━━友達に会うのがルーティンになっていて、それが浅野忠信流の<フジロック>の楽しみ方なんですね。

浅野 基本的にはそうです。<フジロック>じゃなかったらこういうふうには過ごせないですよ。<フジロック>っていうものが楽しいんです! <フジロック>でしか会えない友達に会えるから毎年行きたくてしょうがない。僕にとってはそういう場所なんですよね。