「子どもをフジロックへ連れて行くのは○か×か」と題した前回の『保育界の風雲児「柴田 愛子」に訊く』は、特集コラムの中で最も反響の大きい記事となりました。

フジロックに参加する子どもたちの数は、このプロジェクトが開始した2016年頃より年々増加し、現在ではおよそ数千人に及んでいます。

そこで今回は「親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない」と題して、とても楽しそうな表情で野外フェスを過ごしている子どもたちが何を見て、何を感じとっているのかについて、りんごの木子どもクラブ代表の柴田愛子氏にお訊きしました。

昨年のフジロックはいかがでしたか?

鼓童は感動的でしたよね! 加藤登紀子さんはシャンソンですごく懐かしかったわ。彼女の常に発信している生き方そのものがステージに出ていたし、いくつになっても歌い続けるってすごいこと。好きなことを極めている人、好きなことに走っている人たちの筋の通り方はどの世界でも同じよね。音楽ならミュージシャン一人一人に辿ってきたいろんな道を経て今があるんだろうなって思って見ちゃう。音楽そのものが原点ではあると思うんだけれどもその人の生き方が混ざっちゃうからより魅力的になっちゃうんでしょうね。音楽と言えばね、うちの卒業生がFirst Placeっていう名前でコナンのエンディングを歌ってるんですよ。去年メジャーデビューしたの。

りんごの木の卒業生にもミュージシャンがいるんですね?!

そうなのよ! こないだ観に行ったけど涙なくしては語れないわ。もうファンクラブもあって会場ではおばさんなんて私だけ、若い子ばっかりで(笑)。目の前にいるのに反応を示してくれないのよね、彼は。

それはさすがに難しいのでは(笑)。

車の中でいつも、何度でも聴いちゃうわけよ。私のラジオ番組では「リクエスト曲『さだめ』」とかやっちゃってね。その次はりんごのお母さんたちが踊った「U.S.A.」をリクエストしたわ。音楽って人がつないでくれるものが多いから面白いよね。

■親の本当の姿が子どもには見えない社会

さっそくですが、今回は野外フェスに子連れで出かけることについてお聞かせください。

今は、親の本当の姿が子どもに見えない社会になってると思うんですよ。皆が質素な暮らしをしていた昔は、大人が子どもを構っている暇がなかったから子どもには自由があったし、すぐ側で一生懸命働いている大人の姿を見て大工さんや植木屋さんになりたいという大人に対する憧れがあった。でも今は子どもたちに大人の動きが見えない。そんな中、一緒に外に出かければ大人の姿が見えますよね。大人の姿に憧れた子どもは4、5歳になると見たままをごっこ遊びで再現するんです。綿菓子屋さんをやりたがった5歳の子には「危険を伴うし緊張と集中が必要なのよ」と伝えても「絶対できる!」と言うのでやってみたら、チケットを作ったりお金を用意する銀行もできた。旅先で見たフロントを作って「お子様連れですね? こちらにお名前とご住所を」とか言ったりも。昔から子どもたちは遊びを通して社会を模倣して学んでいるんです。

それが野外フェスとなると?

音楽はリズム、子どもにとってリズムは鼓動。同じ心臓を持ってるんだからそこは共通なわけよね。それに野外のフェスでは大人が楽しんでいるので子どもは大概のことでは怒られないと安心して大人を見ることができる。親がいい顔をしているのをその場で見て、それまで見えていなかった大人の側面を知ることができますよね。親は自分の楽しみのために子どもを連れて行く。だから子どもには親の本当の姿が見える。これっていいことじゃないですか。私が(りんごの木の)運動会で大人の騎馬戦をやるのはそのわけなのよ。日常では大人から見られている子どもたち。見られているだけならいいけど「あれしちゃだめ、これしちゃだめよ」と監視されたりもしているから、大人は自分を管理する役の人であってその大人の人格までは見えないんじゃないかしら。それがいつもの母の顔と違って「お母さんは管理者じゃなかった」と思うことができる。そして同じ場所にいるという安心感を持てる。親の人間性の原点を見ることができる。

0415_shibata-2_1 【こどもフジロック】保育界の風雲児「柴田 愛子」に訊く、親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない

フジロックへ子どもと行くことで親子関係に良い作用がありそうだなとは実感していましたが、そういうことだったんですね。

いつもなら子どもは遊びに行くのに大人に付き合ってもらう。ところが大人に子どもが付き合わされるっていうのがいいのよ。“ひとつ貸し!”みたいなさ(笑)。いつもなら大人が子どもに「楽しかった?」って聞くのに、子どもから「楽しかった?」と聞かれて「楽しかったよ、ありがとうねえ付き合ってくれて」と答えると「よかったあ」となる。それで「僕は楽しくなかった」なんて言わないよ。親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない。自信を持って出かけましょう!

独身時代から好きな場所へ我が子を連れて行くのは不思議な感覚。でもそう言われると大変さも吹き飛びます。

“おみそ”を連れて行くっていくのは物理的にやっぱり疲れますよ。荷物は重いし、お腹空いたとかいろんなこと言うし、子どもは歩くのが遅いし。親だっていつものように世話はやけませんよ。でもお腹空いたなら並ばなくてもすぐに何か出してあげられるようにしたりしてね。

0415_shibata-2_2 【こどもフジロック】保育界の風雲児「柴田 愛子」に訊く、親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない

なかなかゴールに辿り着かない幼児の歩を前に進めるコツはありますか?

5歳くらいは目的地に向かって歩いたり走ったりしますが、3歳までは目的地に向かって歩きません。子どもは歩くのが下手なのでスムーズに先には進みません。そんなときには家族のひとりが子どもと一緒に木陰に隠れて、後ろから来た家族を「バケバケバー!」と飛び出して驚かせてみてください。これは子どもが大好きなスピード調整に使える遊びです。それから歩くのが嫌になったときの“元気の素”は飴。糖分がパワーになります。アレルギーの子には氷砂糖というのも手。あとは拾った物を入れるためのビニール袋、子どもにとっては石ころだって宝物ですからね。着替え、水。雨でもカッパの中で汗をかいているので水は頻繁に取らせてくださいね。

子どもたちが思春期を迎えたときや大人になって辛くなったとき、思い出す景色がフジロックなどの自然に囲まれた音楽フェスだったいいなと思っているんですよね。

雄大な景色を見るとほっとするのと同時に、自分は地球上にいる小さな動物だと感じて謙虚になれる。知的な記憶は簡単に捨てていくわよ、だから学校でしたことは全部忘れていくじゃないの。でも人は小さければ小さいほど本能で捉えているの。感性的な記憶、例えば音楽や空気、自然の中で感覚的に得た記憶は一生残るんじゃないかしら。家族で出かけてそれぞれ感じることは違うけど共通の思い出ができる。子どもにとっては“みんなで行く”ってことがワクワクすることなの。

0415_shibata-2_3 【こどもフジロック】保育界の風雲児「柴田 愛子」に訊く、親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない

前回も話したけど父に連れられていったミュージカルの『風と共に去りぬ』なんて当時は全然わからなかったけど、“一緒に行った”ってことは覚えているもの。やたらお父さんが写真を撮ったりして愛されている感じがするのよね。いつもと違う親子関係にゆとりあるほんわかしたものが混ぜられたようなさ。「早くしなさい」じゃなくて「こっち来てごらん」とか、「はぐれたら大変!」とかも急かされてるんじゃなくて守られてるって感じるし、そのときの手の感触や帰りに食べたラーメンの味は覚えてるものよね。親が大好きなところに子どもが巻き込まれて行っていたけれど、親に守られていたぬくもりは残っていると思う。それは自然とか、心が安定してるとか、そういうことかもしれない。

0415_shibata-2_4 【こどもフジロック】保育界の風雲児「柴田 愛子」に訊く、親が楽しんでいることを嫌う子どもなんていない

確かにフジロックでは子どもが幸せそうに笑っている印象があります。ただ、大人が準備を怠ると子どもは楽しめません。

だから屋外で楽しむためには絶対に防備が必要なんです! 子どもはどんどん大きくなっちゃうけどカッパと長靴だけはお金をかけなさいと、すぐに破けちゃうようなカッパはやめなさいといつも言ってるんです。中に雨が染みこんでこなければすごい楽しめるのに、足がジメジメと濡れてくるもんだから体が冷えて楽しめないわよ。雨の日も楽しめるっていうことは健康だし、それなりの装備をしてるってこと。だからその辺の準備は絶対に必要。連れて行く人の責任だね。