子どもが乳幼児の頃、子どもをフジロックに連れていくことを躊躇した理由のひとつに「果たして、子どもをフジロックへ連れて行くのは○か×か」という自問がありました。
そこで今回は、保育界のエキスパートである、りんごの木子どもクラブ代表の柴田愛子さんに子連れでのフェス参加について取材をしてきました。
柴田さんは、徹底的に子どもの力を信じ、心に寄り添う保育を実践されている保育者、保育界のカリスマ風雲児です。「愛子さん」の愛称で知られ、作家、絵本作家としても活躍され、その育児メソッドは、NHK Eテレなどで特集されるほど注目をされています。三歳児の母である筆者もまた、愛子さんの著作にある力強い言葉に何度も背中を押されてきた一人です。
今回のインタビューでは、最初のテーマ・子連れフジロックの是非についてはもはやどうでもよいとさえ思えてしまえるほど、子育てに対する概念について深く言及していただく内容になりました。
フジロックに子どもを連れて行くことをどう思いますか?
私は賛成。子どもは大事よ。でも、大人がいて子どもが生まれたと思うのよね。子どもを大事にし過ぎるために、大人が無色になり過ぎている気がするの。
色が無いと?
そう。私在りきで子どもが生まれたのに、その「私」がなくなっちゃう。例えば、叱るときでも褒める時でも、専門家に聞いてそれを正解とする。でもちょっと待って。あなたはどうなの?って。子どものためによかれと思ってではあっても、大人が考え過ぎて、子どもが大事にされ過ぎている気がする。家族もね、家族を大切にするってことが弱くなっているような気がする。それぞれの家で違うと思うけど、おじいちゃん、おばあちゃんもいて、大人もいて、子どももいて、みんながちょっとずつ我慢して家族って構成されていく。「私はあなたを引き受けるけど、あなたも私を引き受けてね」っていうのが家族だと思っていて。家族がお互い刺激しあって、バランスを取って、それぞれが心地よく過ごしていけば良いのよ。
愛子さんの幼少期のご家族の記憶はありますか?
今は子どもが少なくなったから大人文化の方に子どもが引き寄せられているけど、団塊の世代の私が子どもの頃は子どもが多かった。童謡なんかも流行ったりして、子ども文化を大人が面白がっていたのよ。うちはおばあちゃんが歌舞伎好きで、父はラテンが好きで、ミュージカルが来ると家族全員で連れて行ってくれて、あれはびっくりする世界だった。兄はジャズが好きでね。同じ家で育ってるんだけど、一人一人の好みってあるじゃない? それが刺激し合っていた家で、けっこう仲も良くて。それはきっと日常じゃない刺激を親が入れてくれたからだと思う。それと、それが子どものために付き合ってないってこと。
自分が楽しみたいから?
そう、大人が子どもを巻き込んでいた。父は外人と話すのが好きで、私は分からない言葉って嫌だなあって思っていたけど姉はそれが好きだった。同じ家族でも趣味嗜好はバラバラで、それぞれの趣味に引きずり込まれていたし、それぞれが好きに生きていました。私はそれとフジロックを好きな親が子どもを連れてくるっていうのは似てると思うの。
—フジロックという非日常では、いつもなら見られない親の一面を見ることができますもんね。
そう。いつもは親が子どもを見ているけれど、親が好きなことをやっているときは子どもが親を見ている。いつもは口うるさくて厳しい人がいい加減になっていたり、「なんだここ?! いろんな人がいる!」って親以外の大人のこともね。音楽と自然と群れがあると心が解放されますよ。そう思わない?
思います。
心が解放されるのは、まずは大自然。でも心が動かされるのには、人も大事。大自然と音楽って、コミュニケーションの原点だと思うのね。初めてジャズを聴いたとき、これ、心臓の音じゃんて思ったの。地面から生まれた気がしてね。
それは誰の曲でした?
マイルス・デイヴィスよ。でも不思議なのはね、ジャズ喫茶で聴く音とその人たちのライブとは全然空気が違うってこと。ジャズ喫茶には、思春期の、気持ちが重いときに行っていた。そこから外へ出ると、世の中に耐えられなくなっちゃうんだけど、オープンなジャズは自分に無理がなくて。だから、フジロックに初めて行ったとき、日本でこんな空間を作ることができるんだってすごく感動したの。