初めてフジロックに参加したのはいつですか?
2012年じゃないかな。たまたま直前にロンドンにいて、そこでは街が交通をストップして、みんながいろんな自転車に乗る「自転車の日」というのを見たの。日本のお祭りには伝統があるから解放ではないと思う。けれど、イギリスにはこんな風に遊べるイベントもあるんだなあと思ったまんまフジロックへ行ったから「日本でもこんなことできるんだ!」って驚いた。
場内ではどんな風に過ごしていますか?
音楽に詳しくないからアーティストのことは全然知らないけど、これは好き、これは嫌いとか、そういう感じで楽しんでますよ。一番奥の、打楽器の場所があるじゃない?
ストーンド・サークルですね。
そこへ行くと、年寄りだから目立っちゃうのよ! でも面白いからいつも参加するの(笑)。参加してたら前に出されて、司会みたいな人に「どうしてフジロックにいらしたんですか?」「どのアーティストが好きで来られたんですか?」って聞かれたのね。でも私、それには答えられなくて「この空気が好きなんです」って答えたの。私が知ってるのは加藤登紀子くらいだもの(笑)。彼女の生き方は好きだけど、誰かの音楽が聴きたいとかいうのはあまりなくて、私はあの空気が好きなのよ。
フジロック特有のあの空気感は、人を自由にさせますよね。
日頃解放されない部分を晴らそうと思うと人間はハチャメチャになって乱れた発散の仕方をするけれど、フジロックは健康な発散なんだよね。またね、それをさせようとしている整備の仕方、あれには感心する。ゴミのところに人がいたりしてさ。土壌ができてると、人間は破滅的なことはしないのよ。
あそこでは悪いことはしたくないんです。今は子どもも見ていますし。
そうだよね。
とはいえ、自分が楽しみたいから子どもに一緒に付き合ってもらって参加する。果たしてそれでいいのかと思うこともあります。
全然それでいいと思うよ。フジロックに行ったからといって、子どもを連れて行ってるし、子どもは被害者ではないのよ。親だって子連れだと大変よね? それでも行くのは自分を取り戻したかったり、解放したいからであって、それは育児を放棄しているわけじゃない。それに親が好きなことをするために、おみそでくっついていくことで、子どもは違う親を見て必死についていこうとする。幼稚園に行く、保育園に行く、学校へ行く。「早くしなさい」と言って子どもを誘導しているのがいつもは親だったのに、ところが今度は「置いていかないで!」と言う立場に逆転している。それって、すごくいい親子関係のバランスだと思うのよね。
そう言ってもらえると安心します。誰にも責められていないのに必要以上に気にして自分自身を許せないなどの声が聞こえてくるんです。あんな場所に子どもを連れて行っていいのか、或いは、自分優先にしてしまうことをすごく気にしている人も多くて。
あんな場所って言ったって、大自然の中で空気もいいし、食べ物だっておいしい。健康的じゃない!
言われてみれば本当にそうですね(笑)。音楽もあって、自分の好きなものを聴かせたい、見せたいっていうのは悪いことじゃない。
そうよ、悪いことじゃない。親が自分を失ってしまうことほど怖いことはないのと思うの。大事にされることはいいけれど、すべてが安全で優遇されちゃうから子どもが自立しない。「お母さんは僕のためだけのお母さんじゃない」ってことを知っていていいと思うよね。うちの母は、一週間に一回だけ「お勉強に行ってくるから」と言っていなくなってたの。PTAも、他も、全部くっついて行っていたのに、そのときだけは「行く」って言えない背中なのよ。実はそのうちのひとつが劇団民芸の芝居で、もうひとつが女性史の勉強だったらしいの。お母さん、そんなことしてたの?!って思ったけど、母は私が小さい頃から「人間、好きなことがひとつあれば生きていけるのよ」って言っていたのよね。小学4年生くらいのとき、「あなたにはピアノがあるでしょ? だから大丈夫」って言われ続けていた。何であんなことを言ったのかなって思うと、母にとってはそれが民芸で、女性史だったんだって。五人も子どもを育てて、家事労働で大変で、自分を見失ってしまいそうなときに母の軸がぶれなかったのは、好きなことがあったからだと思ったの。それは手に職を持つとか、そんなことじゃない。それに母はきっと、自分自身にも言い聞かせていたのよね。自分の好きなもののためには、子どもにも邪魔されないで貫くということを。
凜としたお母様の背中が目に浮かびます。
だからね、フジロックが好きとか、ロックが好きっていう人は、それを譲らなさんなってことを言いたいの。いつも子どもの面倒は見ているんだし、ご飯も食べさせてるんだし、一年に一回くらい大丈夫よ。そんな細やかなことで育児を放棄してるだなんて言っちゃいけないし、言わせちゃいけない。親は若い頃から好きで、そこに子どもが登場したけど、自分の好きなことを失わないほうがいい。あんたのために私は好きなことを放棄したとか、あんたのためにって言い始めると自分がぶれるのよ。
年に一度、あのゲートをくぐる時に「よし、今年も来た!」とスイッチがオフになって本来の自分に戻ることができるんです。最低限子どもを守ることはするし…。
そうだよね。子どもがいることは事実なんだからさ。それをないがしろにして本来の自分に没頭するなんてことはできないのよ。だからそれを気にしながら、半分忘れながら、自分が楽しみなさいな。個はね、群れの中で育つの。個が育つためには群れが必要なのよ。群れとしての質を上げていくものではなく、ひとりひとりの力になるような、いろんな人がいる群れがその子の育ちを磨いていく。そしてそれぞれが尊重し合う。それは親子でも同じ。「このアニメ好きじゃないけど」って言いながら映画館に付き合ってあげているのが逆になっただけよ。あんまり好きなものじゃなくたって、お互い何らかの足しにはなってると思うから!