毎回さまざまなゲストに登場してもらい、<フジロック・フェスティバル(以下、フジロック)>の魅力・思い出・体験談について語ってもらう「TALKING ABOUT FUJI ROCK」。今回登場するのは、今年で活動35周年を迎えた電気グルーヴだ。<フジロック>には初回の1997年から参加し、以降はその歴史に欠かすことのできない名物アクトとしてオーディエンスを沸かし続けている。
クロージングアクトとしての出演や伝説となったあの曲、そして現在へ。<フジロック>のオフィシャルショップ「岩盤/GAN-BAN」と本サイト「富士祭電子瓦版」の代表で、GAN-BAN SQUAREの責任者でもある豊間根氏を交えながらの電気グルーヴ的フジロック・ヒストリーの振り返りとなった。今月末に迫った<フジロック’24>のステージ、その前の予習としてもぜひ。
Interview:電気グルーヴ
フジロックは「甘やかさないフェス」
──いまや日本中にたくさんの音楽フェスがありますが、電気グルーヴにとって<フジロック>はどんなフェスですか?
石野卓球(以下、石野):一番古くからのお付き合いがあるフェスですし、やっぱり特別な部分はありますね。そして、今はいろんなフェスがありますけど、<フジロック>は圧倒的にホスピタリティ面で愛想がない(笑)。
──(笑)。
石野:まあ、そこがいいんですけどね(笑)。
ピエール瀧(以下、瀧):「無農薬のフェス」って感じだよね。
石野:そう。「甘えちゃいけないな」って思う。
瀧:トマトって、水をやらずに厳しくすればするほど甘くなるらしいですからね。
石野:たまに他のフェス行ってバックステージのホスピタリティいいと、ちょっと落ち着かないんです。初期のフジロックには「不便さを楽しもう」ってキャッチフレーズがあって、「ものは言いようだな」と思いましたよ(笑)。
瀧:<フジロック>はお客さんもみんなサバイブしに来る感じあるじゃないですか。同じように出演者もバックステージでそこまで甘やかされない。「来て、ちゃんとライブをやれ。あとは知らん!」って感じで、それが逆に居心地がいい感じもあります。気を遣わなくて済むというか。
石野:そうそう。別に嫌味でもなんでもなく、その方が自由でいいんですよ。過保護に面倒見られすぎると、向こうは善意でやってくれているのに、ちょっとウザく思っちゃうことってあるじゃないですか。
──ああ、わかる気がします。
石野:<フジロック>は自分の意識を客へとすぐ切り替えられるんですよ。出番が終わったら、出演者様でいられない。
瀧:バックステージに送迎の車があるんですけど、終わった瞬間からもう乗れないですからね。「お前ら、その足があるだろ?」って感じで(笑)。
──電気グルーヴがこれまでフジロックに出演してきた中で、特に印象深い年はありますか?
石野:よくぞ聞いてくれました。前に他の媒体のインタビューでそれを聞かれたので、ちゃんと思い出せてます(笑)。それは2012年にレッドマーキーでやった年ですね。あれはすごい良かった。
瀧:レッドマーキーという居心地の良い空間で、ウチららしいライブができたよね。
──ホワイトステージやグリーンステージのような屋外よりも、屋内の方がやりやすいと言うことですか?
石野:屋根だけの問題でもないかな。レッドマーキーぐらいの規模だと隅々にまで目が届く感じもあるし、あんまりこういうことは言いたくないけど、「一体感」はやっぱり全然違うなと思いますね。
瀧:レッドマーキーのお客さんの「さーて、今から一晩楽しむぞ」という気構えが、僕らにちょうどリンクする感じがあるんですよね。
──あと、やっぱりこれは聞いておきたいのですが、1997年の伝説の初回についてはいかがですか?
石野:今となってみると、その後のフジロックとはやっぱり別物だったなと思いますね。台風が直撃したことや場所が違ったことも含めて「お試しの特別編」というか。
瀧:ほとんどのお客さんが初めてのフェスだったから、何を準備したらいいかっていうノウハウもなかったからね。確かにあれは過酷な状況だったけど、たぶん今のフジロックのお客さんだったら、なんとかなったんじゃないかなと思いますね。
──ライブパフォーマンスはいかがでしたか? 映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? ~石野卓球とピエール瀧~』からは、“Volcanic Drumbeats”から“富士山”に至るという激しいライブだったと見受けられます。
石野:もちろんセットは最初から決まっているから、あの状況に合わせたものではないんですけど、当時はうちらのライブもかなりハードだったので、結果的にそれが良かったと思いますね。「寝たら死ぬぞ」って感じで(笑)。
瀧:ずっと客の胸倉掴んでビンタしているみたいなライブで、お客さんも雨に濡れて寒すぎるから「助かる〜」って感じで暖を取るようにモッシュ状態でした(笑)。
石野:ライブ後は、僕らもとてもじゃないけど他のアーティストを観るような状況じゃなくて、運営本部的な場所は野戦病院みたいになってましたからね。
──97年はエイフェックス・ツインも出演してましたよね。
石野:たしか当時のエイフェックスは小屋に入ってライブをやってたんですよね。シェルター持参というのは正解だったと思いますよ。ちゃんと準備してきたのはエイフェックス・ツインだけだったという(笑)。
黎明期を超えて「ありがたみがわからない」グリーンステージへ
──1997年以降、電気グルーヴが出演した年についてお話を伺いたいのですが、2回目の出演が2000年の回ですね。
石野:モービーが出た年ですよね。正直、この次の次ぐらいまでホワイトステージとグリーンステージの違いもわかってなくて、「近い方がグリーン、遠い方がホワイト」みたいな感じだったんですよね(笑)。ライブでは“誰だ!”とかやってるんだけど、全部即興なんですよ。
──えっ、そうなんですか?
石野:この頃はDJ TASAKAとKAGAMIと一緒に、曲の尺とかも決めずにやって、瀧がただふざけてるって感じのライブをやってましたね。まあ、僕もあんまり覚えてなくて、YouTubeで映像を観て思い出したくらいなんだけど(笑)。
──(笑)。その次が2006年で、一番大きなグリーンステージへの出演となりました。
瀧:あの年は電気のライブ自体が久しぶりだったんだよね。
石野:そうそう、活動休止してて。
瀧:で、いきなりでかいステージでやるっていう。
石野:2006年はDVDになってるやつですね。周りのスタッフが興奮しながら「グリーンですよ!」と言ってたけど、この時もまだホワイトとグリーンの違いが分かってなかったから「その色の違いは何?」みたいな感じ(笑)。全然ありがたみがわかってなかった。まあ、いざとなると「ちょっとデカいステージだな」とは思ったけど、夜だから暗くてよくわからなかった(笑)。
──ちなみにこの年はレッド・ホット・チリ・ペッパーズの前の出番でしたが、フジに限らずフェスの前後のアクトって意識しますか?
石野:いや、気にしてもしょうがないじゃないですか。Public Image Ltd.が少女時代の前にやってジョン・ライドンが可哀想な目にあったこともありますけど、基本出演者としてはどうしようもできない。寄せるわけにもいかないし、振り切るわけにもいかないので、まあ、主催者を恨むだけですよ。
──(笑)。その次は2008年のオレンジコートでのオールナイトフジですね。
石野:この時はKAGAMIがいたよね。「崖の上のポニョ」を一曲目にかけてたのを覚えてる。
瀧:あったね(笑)。あ、この年パブリック・エネミーも出てるね。自分の娘を肩車してみた記憶がありますよ。
──おお!お二人は毎回お客さんとしてもフジロックは楽しまれていますか?
石野:僕はレッドマーキーくらいですね。
瀧:僕は観たいやつは結構観に行ってますけどね。
石野:苗場食堂に張り付いているからこいつ(笑)。音楽そっちのけで、フード目当て(笑)。
瀧:ライブを目指したところで、辿り着かないことも多いよね。それも含めてフジロックというか。ポップな遭難という感じで。
フルセットで臨んだ2014年、そして初のクロージング
──そして先ほど最も印象に残っていると伺った2012年に続いて、2014年のグリーンステージ出演ですね。
石野:出演料を全部つぎ込んでセットを持ち込んで、結局プラマイゼロになったやつですね(笑)。でも、あの時は日高さんが喜んでくれたのがすごく嬉しかったな。「あんな大きな規模のやつ持ってくるのはなかなかいないよ。あれはすごいよ」って。電気が良かったからって、フランツ(・フェルディナント)観ないで帰ったっていう。フランツには悪いけど、最高の褒め言葉だよね。
瀧:フジのスタッフがそれを見て「まだ後ろの出番のアーティストがいるのにどうする?」って悩んでたのを覚えてます(笑)。
──セットを持ち込もうと思ったきっかけはあったんですか?
石野:この時はさすがにもうグリーンステージの意味が分かってたので、「ギャラもいらないから、セット持ち込んでやっちゃおう」って感じがあったんですよね。
瀧:当時は電気の25周年ツアーをやってて、そのセットをそのまま持っていこうってね。
石野:そうそう。この時は初めて前乗りして、サウンドチェックもやったよね。
瀧:夜中の2時にステージ組んでみて、「こんなサイズになるんだ」ってね。
──そしてその2年後の2016年には、初のクロージングアクトを務められました。
石野:それが、またしてもクロージングの意味を分かってなくて(笑)。
──またもや(笑)。
石野:トリがあって、大トリがあって、クロージングがあるって「それ何?」って感じで。そしたら、昔ハッピー・マンデーズが出た時に彼らのクロージングを観たくて最終日まで残っていたことがあったので、「あれか!」って。要はフジロックのアンコールみたいな扱いなんですよね。まあ、ハッピー・マンデーズはその時、メンバー全員酔っ払いすぎて「アンコールができません」ってスタッフが出てきて謝ってましたけど(笑)。
瀧:僕らはアンコールで“Shangri-La”とか“虹”をやったよね。
石野:多分この時すごくリラックスしてライブできてたと思う。後もないし。お客さんも、うちらを観るために残っていた人たちだから、やりやすかった。
瀧:たまたま帰り損なった人もいるだろうけど、うちらを観るしかないもんね。まあ、少女時代が出ると思って残ってた人もいるかもしれないけど。
伝説の“虹”からパンデミック、その先の現在へ
──そして2019年は卓球さんがDJとして出演されましたね。
石野:そうです。瀧がお縄で(笑)。
瀧:僕は箱の中で静かにしてました(笑)。
石野:本当は電気グルーヴでブッキングされてて、逮捕があってのDJ出演になったんです。基本的にDJの時は電気の曲はかけないんですけど、その時は多めに電気グルーヴの曲をかけて、一応感動の渦に。
──この時の“虹”はファンの間で伝説になってますよね。
石野:大根さんの映画の続編じゃないけど、YouTubeに映像が上がってますよね。捕まってから一連のやつが。でも、瀧が捕まった直後に、日高さんが出してくれたステートメントは本当に心に響いて、「ありがたいな」って。その時ベルリンにいて、スーパーで買い物している時だったんだけど、泣きそうになりましたね。いまだに感謝してますよ。
豊間根:あの時、日高さんに「卓球さん、今ベルリンにいるらしいですよ」って言ったら。「あいつも逃げたか!」って言ってましたけどね。
石野:(笑)。「あいつも」って。
瀧:いや、俺は逃げてねえし!(笑)。
豊間根:でも、逮捕の時はすごい騒ぎになってたから、「卓球さんに『DJでお願いします』って言うのもどうしようか」って感じでしたよ。
石野:大丈夫、大丈夫。瀧の逮捕で食ってたから(笑)。
──やっぱり日高さんの存在は大きいですか?
石野:それはもちろん。日高さんあってのフジロックですから。
瀧:うん、日高さんは本当にボスキャラっすよ。
石野:いや、キャラじゃなくて、本物のボスだね。
豊間根:日高さんも卓球さんのことが大好きで、日高さんに対してヒヤヒヤするようなことを言えるのは、俺が知ってる中では卓球さんくらいですね。
石野:「知らない」って強いよね(笑)。でも、日高さんって(アインシュテュルツェンデ・)ノイバウテンを日本に呼んだり、俺がガキの頃行ってたライブを仕掛けていた人だから、会うべくして会ったって感じもあるんだよね。
──そして2020年、電気グルーヴはついにフジロックのヘッドライナーとなったわけですが、残念ながらこの年はコロナ禍の到来によってフジの開催自体が中止となってしまいました。
石野:ありがたいことなんだけど、ヘッドライナーっていう意識はそこまで強くなかったんだよね。それはちょっと荷が重いから、あくまで出演者の一つでしかないと思ってました。
瀧:ライブは全責任を持つけど、その前後とかステージ全体、フェス全体まではちょっと背負えないもんね。「ヘッドライナーだから普段と違う特別なことをしなきゃ」みたいになるのもよくないと思うし。
石野:そうなったら、もう1週間前から瀧は寝れないですよ。
──そして、2021年には引き続きコロナ禍ではありますが、日本のアーティストを中心としたフジロックが開催され、電気グルーヴも出演しました。
石野:俺、校則厳しい高校に行ってたんですけど、それを思い出しましたよ。本当に徹底してた。バックステージまで酒一切ダメで。
瀧:お客さんが一番しんどかっただろうなとは思いましたね。声も出せないし、何かを解放しちゃいけないんだもんね。その感じがこっちにも伝わるし、あれはなかなかの感じでしたね。
──今となってはあの感じを忘れてしまってますが、歓声も出しちゃダメだったんですよね。
石野:そうそうそう。だから不思議な感じでした。アメリカンプロレスをやりたいのに、アマレスだったっていう感じでしたね。
──そういう状況を考えると、今年2024年の出演は「ついに」って感じですよね。ものすごい差があるというか。
瀧:いや、本当に、今思うとコロナ禍でよくやったよね。
石野:うん。そして今年はレッドマーキーっていうのがいい。一番居心地がいいからね、これからずっとレッドマーキーでいいというか(笑)。
「うちらが“富士山”をやらなくなるのが先か、フジロックが名前を変えるのが先か」
──ここまで電気グルーヴとフジロックの歴史を振り返ってきましたが、この20数年でフジロックの印象は変わりましたか?
石野:最初の話に戻るんですけど、甘やかさないですよね。過保護じゃないところがいいんですよ。
瀧:相変わらずブヨがいるしね。
石野:それはどうしようもないでしょ(笑)。
瀧:「今年もちゃんとブヨいるなー」ってフジに行くと思うよ。あとは、レッドマーキーのバックステージの車道に「スピード出したら殺す」みたいなことが書いてあるんだけど、それを見るたびに「おっ、<フジロック>だな」って(笑)。
石野:でもさ、今年はクラフトワークを観られるのがいいよね。フジロックのあの環境でクラフトワークって、一番違うもの同士じゃん。でも、それがいいよね。
瀧:ブヨとクラフトワークね(笑)。
──電気グルーヴとしてのパフォーマンスはその歴史の中で変わってきたと思いますか?
石野:変わりましたね。最初1997年に出たときはメンバーにまりん(砂原良徳)がいて、次からはもう2人でしたし。それ以降サポートメンバーや、ライブのやり方、使っているシステムが変わったりしてきたんだけど、だんだん構築されてきた感じがありますね。フジロックを基準に考えると、2012年のレッドマーキーがやっぱりすごいデカくて。これ以降/以前で分けられる感じだよね。
瀧:そうそう。2006年とか2008年は試行錯誤な感じがあったんだけど、2012年を経てどんどん娯楽用のバンドという感じが強くなってきた。
石野:まあ、もともと娯楽用なんだけどね。
瀧:そうそう。でも、それがどんどん強くなっていってるなと感じますね。
石野:毎年“富士山”で終わるっていうのもそうだよね。……でも、それもちょっと変えます。
──おっ。
石野:1曲目“富士山”。2曲目も“富士山”(笑)。
──(笑)。
石野:いや、でも、<フジロック>で“富士山”やらないわけにはいかないじゃないですか。残念ながら(笑)。けど、今年は考えます。もちろん最後に“富士山”はやります。でも、もっとやります。
──おお!楽しみですね。
瀧:うちらが“富士山”をやらなくなるのが先か、フジロックが名前を変えるのが先かっていう。
Photo by 寺内暁
Interview by 照沼健太
INFORMATION
電気グルーヴ × FUJIROCK ’24 Tシャツ
定番となっている電気グルーヴと<フジロック ’24>とのコラボTシャツがフジロックの公式グッズとして今年も登場。GAN-BAN/岩盤(渋谷PARCO B1)での店頭販売やGREENonREDでの通信販売に加え、<フジロック ’24>の会場でも購入が可能だ。