2020年のフジロック開催発表と同時に発せられたメッセージ「フジロック、変わります。」から早2ヶ月。

第一弾アーティスト発表も終え、2020年の富士祭電子瓦版も始まります。

組立式アウトドアチェア(※)の禁止等突然のルール改正に、今までの<フジロック>での過ごし方や自身の行いを振り返っている方も多いのではないでしょうか?そこで2020年の富士祭電子瓦版は、<フジロック>のマナーをテーマにしたコラムからスタートします。

 
今回、瓦版がコラムの執筆を依頼したのは、TwitterやWEB媒体を中心にライター/コラムニストとして活躍する、あたそさん(@ataso00)。音楽好き、フェス好きとしても有名なあたそさんは、<フジロック>では一参加者としてだけでなく、ライターとして現地レポートもしているそう。そんな最もお客さんに近い目線を持つライターとして、あたそさんに、これまでに見てきた<フジロック>について、マナー問題について思うことをコラムにしていただきました。

皆さん、こんにちは。あたそという者です。普段は会社員として働きながら、たまに文章を書いたりトークイベントを行ったりしています。最近のマイブームは、かにかまのマヨネーズ和えです。

2003_column_ataso_01 フジロックになぜ“ルール”ができたのか?を考える by あたそ

2020年のはじめ、「フジロック、変わります。」という謎の告知が何度も続いた。その後、マナー向上のためのルールが発表されたとき、私は「いよいよかあ~~」と思っていた。

今思い返してみても、ここ近年の<フジロック>はひどいものだった。フェス自体やアーティストがどうこうではなくて、マナーとかゴミとか。組立式アウトドアチェア(※)を折りたたまないで背負ったまま人込みの中を移動する人はいつまで経ってもいなくならなかったし、唯一屋根のあるステージであるレッド・マーキーも後方は椅子に座りながら演奏を聴いている人が大勢いて、まるで宴会場のようだった。タバコを吸う人はどこにだっていたし、地面やテーブルの上に捨てられたカップや紙皿を見ない日はなかった。

manner_foldingchair フジロックになぜ“ルール”ができたのか?を考える by あたそ

※組立式アウトドアチェア(フェスティバル注意事項 – フジロック https://www.fujirockfestival.com/attention/

海外からのお客さんや初めて参加する人が増えたとかここ最近は悪天候続きだったとか、そういう理由は多少なりとも関係しているのかもしれないが、あのひどさはそれだけではない気がする。かつて「世界一クリーンなフェス」として国内外から称賛を受けていたはずなのに、そんな面影はどこにも感じられない。

このままじゃ駄目ですよね、ということで数年前から「OSAHO」というフェスのエチケットを紹介するムービーが2~3年前くらいから作られ、会場内でもあのリズミカルな音楽とともにパステルカラーのかわいらしいキャラクターたちが分別や分煙の作法を紹介していたが、状況は変化することもなく、それすら大きな意味をなさなかった。
「もう、これはきちんとルールを引いた方がいいのではないか?」という声も十分上がっていたし、色々な人がこれは自分たちの好きだった<フジロック>ではないのではないか?と不安を覚えたと思う。

今まではルールがなく、個人の裁量によってフェスが作り上げられていた。自由に振る舞える側面が失われてしまうのは残念ではあるけれど、それでもとっくに限度は越えていて、今回『FESTIVAL CRISIS ~だから互いに変わる・変える~』というキャッチコピーのもと、具体的なルールが発表されるに至ったのだろう。恐らく。

2003_column_ataso_02 フジロックになぜ“ルール”ができたのか?を考える by あたそ

<フジロック>は、つくづく不思議なフェスだなと思う。新潟の山奥へ行くためには時間もお金もかかるし、ヘッドライナーの演奏が終わるのは夜12時近くになる。参加する難易度は、比較的高い。会場内で最後の演奏が終わるのは翌朝5時で、大自然で味わう酒も飯も美味いが、キャンプはまあまあ過酷だ。

それにも関わらず、みんながみんな、あの不思議な空間に魅了される。去年は過去最大に雨が酷く、「どうしてこんなに辛い思いをしながら音楽を聞いているんだろう」と寒さに耐えながら思ったりもしたが、今では笑い話になっているし、なぜか楽しい思い出のひとつとして分類されている。

「どのアーティストが出るか」というよりも、「フジロックだから」という理由で参加を決める人が異様に多く、ひとりひとりの思い入れがかなり強い。なんなんだろう、あれは。なんであんなに楽しかったのだろう。よくわからない。けど、あそこで得られた楽しさだけはずっと胸のなかに残っている。

今はライブ配信だってあるし、音楽ひとつにしたって色々な楽しみ方ができる時代にはなった。でも、実際に行ってみてわかる魅力みたいなものが、あの数日間にはぎっしりと詰められているのだと思う。

2003_column_ataso_03 フジロックになぜ“ルール”ができたのか?を考える by あたそ

撮影:あたそ

私も、<フジロック>が好きだ。大好きだ。新しい音楽や人に出会うきっかけをくれ、1年のうちの楽しみのひとつとなり、今や生活の糧となっている<フジロック>。どこまでも続くバカでかい会場のなか、いつどこにいても音楽が鳴り、周囲にいるいい年した大人はもれなく全員音楽を愛していたりする。普段の生活のなかで、自分と同じ音楽の趣味をしている人なんて滅多に見つけられなかったのに?不思議だ。

1年間仕事を頑張って、辛いことや悲しいことを乗り越え、またこうして苗場の土地に足を踏み入れることができたのだとビールを片手に考えていると、じんわりと泣きそうになる。その度に、私は音楽が、ライブが、<フジロック>が心底好きなのだと痛感する。

ルールというのは、全員が平等に楽しむために敷かれるものだ。たくさんのゴミ、タバコの臭いが漂う会場、ステージ後方を埋める椅子、用がなくなったら捨てられるキャンプ用品。その光景を見て、残念に思った人・幻滅してしまった人は、一体どれくらいいるのだろう。マイナスの感情を持った人は、大抵無言で去っていく。

たくさんの人、好きなものに囲まれていると、どうしても気持ちが高ぶっていく。色々なものや誘惑に、流されそうになってしまう。赤信号を集団で渡ってしまう時の心理のように、どうしても「みんながやっているから、いいだろう」という思考に甘えてしまいそうになるが、もっとひとりずつが自立した考え方を持って、周囲だけではなく自分にも厳しい目を持って行動をしていかなければならないのだろう。

私は、自分が大好きな場所を、色々な人にも好きになってもらいたい。この空間が、できるだけ長く続いて欲しい。<フジロック>に来た人が、全員もっと好きになったらいい。来てみたい人や初めて参加する人が、もっともっと増えたらいいな。本当は、ルールに縛られることなく個人の判断で自由に振る舞えるべきではあるが、そのための、明るい未来に続いていくためのルールなのだと思う。またいつか、今回できたルールが撤廃され、「世界一クリーンなフェス」として胸を張れる日は来るのだろうか。

Text by あたそ(@ataso00

PROFILE

あたそ

神奈川県横浜市出身。普段は会社員として働く傍ら、たまにインターネット上であれこれ文章を書いたりトークイベントを開いたりしている。好きな飲みものは酒。自分の思ったこと・感じたことをきちんと文章で表現してくことと、健康が当面の目標。著書『女を忘れるといいぞ』(KADOKAWA)、『孤独も板につきまして 気ままで上々、「ソロ」な日々 』(大和出版)。

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