フェス好きに大好評のフリーペーパー「Festival Echo ’15(フェス・エコ)」と富士祭電子瓦版のコラボ企画vol.4。「Festival Echo ’15(フェス・エコ)」に掲載されたクラムボン 原田郁子さんのインタビューを瓦版でも公開! 

clambon-002 クラムボン 原田郁子が語るフジロック【FESTIVAL ECHO ’15×瓦版特集 VOL.4】

新たな音楽とライブの可能性を
開拓する意志

結成20年のアニバーサリーイヤー。5年ぶりにアルバムをリリースし、6月からは全国ツアーもスタートする。ツアーの、そしてバンドとしての、ひとつのピークになるであろう<フジロック>のステージ。クラムボンは、新たな音楽の可能性を開拓し続けている。

Interview:クラムボン 原田郁子

clambon-003 クラムボン 原田郁子が語るフジロック【FESTIVAL ECHO ’15×瓦版特集 VOL.4】

<フジロック>から受け取るエネルギー

<フジロック>に、クラムボンではじめて出演したのが2003年でした。

原田郁子(以下、原田) そうか! はい、よく覚えてます。当時、山梨の小淵沢のスタジオに何カ月も籠ってレコーディングしてたので、東京には戻らずに、山梨から苗場まで、行きも帰りも山を越えていったんですけど、初めての<フジロック>がうれしくて、リストバンドを一週間くらい付けっぱなしにしてました(笑)。

<フジロック>以前に、フェスへ行ったことはあったのですか。

原田 あそこまで自然の中のフェスははじめてだったですね。森の中を歩いていくと、あちこちでライブをやっていて、人がたくさん集まっていて。そのことが本当に驚きでしたね。

知らない人間にとっては、ある種の異空間体験ですよね。

原田 音楽好きばっかり、山の上にこんなに来るの!? って。私たちは、確か最終日のホワイトステージに出させてもらったんですが、金曜から遊びにいって、ずっと雨だったんです。みんなグショグショで。合宿からそのまま向かったから、用意がまったくなってない。雨に打たれて、泥だらけで、夜には「寒いよー」って言って、ホットワイン何杯も吞んで、ほんと濡れネズミ(笑)。でも、むしろ、普段眠っていた何かがむくむくっと起きてくるような、毛穴が開くような感覚があって。動物的な。「おぉーこれはすごいな」って思ったんですよね。

その苦労のひとつひとつが、<フジロック>の思い出になっている人も少なくないですよね。

原田 完全に山を舐めてました(笑)。次の年には学習して「シャリシャリした上着って必要なんだな」とか「防水の靴買っておこう」とか準備するようになりました。で、3日目のライブ当日は、晴れたんです、すごく幻想的に。ステージから見ると、たくさんの人がいて、みんなカラフルで、その向こうに山があって、低いところに薄い雲がすーっと流れてる。それまでライブハウスとか室内でライブをやることが多かったから、「わー! 広いところに出たー!」っていう解放感がすごかった。どこまでも声が伸びていくような、大きなものに向かって音を出してるような。

その後、<フジロック>ではいろんなステージにクラムボンは立っています。

原田 ここで一緒に振り返ってもいいですか?(各年の<フジロック>出演者リストをみながら)……あぁ、そうですね。クラムボンとしては、ほぼ2年に一度、出させていただいているんですが、個人的には2008年まで6年間、毎年出演しています。ハナレグミ、 Polaris、フィッシュマンズ、ソロ、スカンク兄弟。

原田さんにとって、お気に入りのステージはあるのですか。

原田 うーん、どのステージもほんとに思い出深くて、ひとつって決められないんですが…、今ぱっと思ったのは、2011年は震災の年で、グリーンステージでTHA BLUE HERBのBOSSくんをゲストに迎えて“あかり from HERE”という曲を一緒に演ったシーン。(レイ・)ハラカミさんが亡くなったすぐ後で、京都ではその日お別れ会をやっていて。そのことをステージで少しだけ話して、“Folklore”という曲を演りました。その時の空気は、忘れられないですね。

<フジロック>でのセットリストは、そこだけの特別なものなのですか。

原田 そうですね。「1回こっきり」をいかに楽しむか。ステージごとにロケーションも音も違うから。あとは時間帯、前後の流れを見ながら、そのときに<フジ>でやりたいことをやらせてもらう。ヘブンのトリを務めたときは、時間がたっぷりあったんですけど、ものすごい土砂降りで。じっくり聞いてもらえる曲も用意していたんですけど、ジッとしていると寒いから、なるべくリズムに乗れるような曲に変更したり。クラムボンはツアーでも、場所とか天気とかそこにある状況に歩み寄りながら、毎回曲順を変えるんです。

clambon-004 クラムボン 原田郁子が語るフジロック【FESTIVAL ECHO ’15×瓦版特集 VOL.4】

結成20周年のベクトル

今年は結成20周年。新しいアルバムもリリースされました。

原田 まさかここまで続くとは思いもしなかったですね。「とにかく音楽が好き」というだけで同じ専門学校でたまたま出会った3人がいて、クラムボンというバンドがはじまって、20年。ようやく「はたち」です。ここ何年かは、車一台で40本以上ツアーをまわったり、カバーアルバムを出したりしていて、オリジナルアルバムをしばらく作っていなかったんですね。それぞれの活動が忙しいこともあって。でも、2015年という節目に新しいアルバムを出そうと、去年1年かけて作りました。ここ10年通ってた小淵沢のスタジオではなくて、制作、録音、すべて都内で。久々にアナログテープで録りました。

だからなのか、ニュアンスが違って聞こえました。

原田 やっぱり3人だけで、ここまで来れたわけじゃ全然なくて。聴いてきてくれた人、支えてきてくれた人、たくさんの人に「ありがとう」をしたいと思って。だけどバンドとしては、これまでを一度壊して、更地から新しいものを立ち上げていく、という側面もある。今回は、ミト氏がやりたいこと、持っていきたい場所にバンドを引っぱっていった、ということだと思います。サウンドありきで、行間とかスペースに浮かんでくる景色を大事にする、という時期もあり、それはすごくクラムボンの得意分野でもあったんですが。とにかくメロディ、歌詞、アレンジを、明確にして、磨いていくということ。彼は意識してやったと思います。

原点に戻るというような感覚ですか。

原田 いえ、3人だけでそこへ切り込んでいったことはなかったので、はじめての試みですね。わたしは歌詞に徹底的に悩みました。メロディに乗せても乗せても言葉にしきれない。もしかしたら1曲も出来ないかもというところまで、追い込まれたんですけど。どうにかこうにか『triology』というアルバムが出来上がって、世に出ました。……なんだろう、バンドってかっこいいところばっかじゃないし、かっこわるいところも、ダメダメなところも、もがいてる姿も晒しながら、何かをこじ開けていくんだなと。

クラムボンの3人にとって、外に向かっていく年なのですね。

原田 最近思うんですけど、ミト氏にしか見えてないものっていうのが確実にあって、でも彼に見えてないたくさんのことを私は見てて、そして私に見えてないたくさんのことを大助氏は見てる。そういうバランスなんじゃないかなって。初めての<フジロック>の話じゃないですけど、過酷であればあるほど、歓びもでっかい。<フジロック>では、今のクラムボンをどーんと見てもらえれば、うれしいです。

Text by Takashi Kikuchi
協力:Festival Echo ’15 フェス・エコ
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★「Festival Echo ’15 フェス・エコ」は岩盤、全国HMV、 TOWER RECORDS、BEAMS、Columbia、Jeep販売店、LOGOS、OSHMAN’S、CHUMS などの各店舗で手に入ります。
※一部店舗を除く

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Profile:クラムボン(Clammbon)

同じ音楽の専門学校に通っていた原田郁子、ミト、伊藤大助の3人により1995年に結成。2002年に日比谷野音でワンマンライブを実現。翌年に<フジロック>に初登場した。さまざまなアーティストとコラボレーションを重ね、楽曲提供やプロデュースなど多岐にわたる活動を、それぞれが続けている。サウンドシステムを保有して全国ツアーを行なうなど、独自のスタンスを築きあげている。今年6月から全国ツアーを開始。ツアーファイナルは11月6日の武道館。
詳しくはこちら:http://www.clammbon.com/

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『triology』

結成20年を迎えたクラムボン。アニバーサリーイヤーの最後を飾るべく5年ぶりにリリースされた9枚目のアルバム。過去のレコーディング方法とはまったく違った手法をとり、よりメロディや歌詞を重視した。そして外に向かうエネルギーを集めることを目的として制作された。3人の5年の経過と今の方向性が聞こえてくる。